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お盆に想うこと

玄関の敷石にアブラゼミが仰向けになって死んでいる。そっと羽をつまんで庭の植え込みに放り投げようとしたその瞬間、ジィィーという金属音を発した。突然スイッチが入った玩具のようにぶるぶると羽を振動させると、弧を描いてキンモクセイの繁みの方角に飛び去った。私はあっけにとられてしばらく空を見上げていた。防犯ベルに驚いた侵入者のように、私は不意を突かれて頭の中が真っ白になった。指先には小型モーターのように力強く律動する羽ばたきの感触がまだ残っている。取るに足りない小さな昆虫に機先を制されて、私はいささか鬱屈した気分になっていた。そして「一寸の虫にも五分の魂」と密かにつぶやいた。

 

考えてみると私は以前にも似たような経験がある。その時の相手はセミではなくカラスだった。カラスに出し抜かれてずいぶんと腹が立った記憶がある。当時私は南青山にある会社に勤めていた。すぐ近くに青山墓地があり、都心にしては珍しく広大な緑地が広がっていた。私はよく昼休みに墓園の中を散策したり、桜の咲く頃には弁当を持って花見に行ったりした。5月だったか6月だったか、気持ちよく晴れ上がった日の昼下がりに、私は例によって墓地を散歩していた。ぶらぶらと歩いて大久保利通のお墓の前まで来たとき、ちょっとお参りしていこうと思ったのである。

 

大久保利通のお墓は、百坪以上はあろうかという広大な敷地を有している。入口からすぐのところに、地面から一段高く盛った土台に記念碑が建てられている。巨大な青銅製の碑に彼の功績が漢文で刻まれている。そこから左に曲がって奥の方に歩いて行くとお墓の前にでる。お墓も地面から一段高く築かれていて、階段を登れば誰でも墓石の前まで行くことができる。怪獣のようなキバを持った大きな石造りの亀の上に細長い墓石が載っている。まるで中国の皇帝のお墓のようである。私は日本人離れした大久保利通の彫りの深い顔を思い浮かべながら静かに手を合わせた。とその時、何かの気配を感じて左を振り向いた。目の前の石の柵の上にカラスが一羽、ゆさゆさと身体を揺すりながらこちらを見ていた。

 

近くで見ると、カラスは思ったより大きな鳥である。その大きな鳥が私を威嚇しているように見えた。クチバシを前に突き出し、目を瞬かせて、今にも飛びかかってきそうな気配である。私はカラスの剣幕にたじろぎ、後ずさりして、あわてて階段を降りた。カラスは石の柵や石塔の上をピョンピョンと跳ねながら、なおも私を追跡してきた。しかしここで私はハッと気がついた。これは滑稽ではなかろうか、大の大人がカラスに追われているザマなんて。私は繁みから枯れ枝を拾い上げると、それを振り回しながらカラスを追い払った。カラスは「カァー、カァー」と鳴きながら、イチョウの木のてっぺんの方へ逃げていった。と将にその瞬間、さわさわという羽ばたきが後方から頭上に近づいたと思ったら、トンと私の後頭部を蹴って飛び去っていく大きな黒い影が見えた。なんとカラスは二羽でチームを組んでいたのである。多分、夫婦であろう。

 

インターネットで調べてみたら4月~7月頃は子育ての時期で、カラスは攻撃的になると書いてある。自分の巣が人間などの天敵から見えないように、カラスはイチョウやクスノキのような高木に巣を作る。だから高いところにいる人間を見ると、自分の巣が狙われていると思って警戒する。電柱に登って作業をしている人や、マンションのベランダで洗濯物を干していた主婦がカラスに襲われたことがあるそうである。地上にいる人間でも上を見上げてキョロキョロしていると、巣を見られていると思ってカラスは警戒する。私の場合にも、大久保利通のお墓の少し高い盛り土の上に立っていた。そこから辺りの高木の新緑を眺めたり、遠くの景色に目をやったりしていた。つまりカラスから見ると私は、自分の巣を狙う危険な人物と映ったのであろう。

 

次に、カラスは頭のいい動物で人間の顔をおぼえることができると書いてある。だからカラスに顔を覚えられた人は、その後何度も襲われることがあるという。しかも一度覚えた人相は、最高で5年程度は忘れないとも書いてあった。にわかには信じがたいが、そう言われてみれば私にも思い当たるフシがある。と言うのも、私は数ヶ月後に再びカラスに襲われたからである。

 

それは朝の通勤途上のことだった。その日は健康のため、私は信濃町で電車を降りて神宮外苑の中を突っ切って会社に行くことにした。外苑の周回道路を左に折れてイチョウ並木に入ろうとした。ところがその交差点の角の芝生で、カラスがクチバシでさかんに土を掘っていたのである。何か昆虫でも捜していたのだろうか。私は全くカラスの存在に気がつかなかった。角を曲がろうとしたその瞬間、トットットッとカラスが飛び跳ねるように突進してきた。不意を突かれた私は動転し、あわてて逃げた。56歩逃げた後またも自分の滑稽な姿に気がついた。私はUターンしてカラスに「蹴り」を入れるべく突進した。しかし時すでに遅く、カラスは「カァー、カァー」と鳴きながら、外苑のイチョウ並木の方へ飛び去っていった。

 

さてここでわれわれは一つの疑問に突き当たる。それは他でもない、大久保利通のお墓にいたカラスと外苑のイチョウ並木で私を襲ったカラスが同じカラスか否かという疑問である。東京にはカラスがたくさんいる。そのたくさんのカラスの中の特定の一羽が、しかも全く異なった場所で、通勤途上の私を偶然見つけて襲ってきたのだろうか。

 

カラスは5年も人相を忘れないという。だから一度襲われて顔を覚えられた人間は、その後何度でもカラスに襲われることがある。・・・この話を聞くと、われわれは当然のように一羽のカラスが同じ人間を何回も襲うというイメージを抱く。何故なら我々現代人は、「記憶」というものに対する抜きがたい固定観念を持っているからである。われわれは何かを記憶するという行為は、あたかもテープレコーダーで録音するように、脳の中に何かを書き込むことだと思っている。そして記憶を思い起こすときには、脳の中のファイルに物理的にアクセスして、それを再生することだと思っている。だから私の人相も、カラスの脳の中に記録されているはずだと考える。すなわち、私の顔を覚えているのは私を襲った一羽のカラスだけであり、その後何度も襲ってくるのも当然そのカラスだという結論になる。

 

アンリ・ベルグソンは100年以上前の人であるが、「記憶」は脳の中には存在しないということを「科学的」に証明した人である。脳の中をいくら捜しても記憶は見つからない。ではどこにあるのかという質問に対して、形が無く、手にも触れない記憶という精神実体に対して、具体的な格納場所を聞くことが果たして適切か否かと答えている。つまり記憶とは物質ではないのであるから、どこにあるかと聞くこと自体が間違っているのである。記憶は記憶のままで、異次元の世界に厳然として存在しているものである。

 

われわれは花が生きていくためには水が必要だと言う。この場合生きている主体はあくまでも花であり、水は花を生かすための単なる補助手段でしかない。生き物は花であり、水は物質である。しかし逆に、生命が宿っているのは水の方であり、花は単に水によって生かされていると考えることもできる。この場合には生き物は水で、花は単なる物質である。

 

空気についても同じことが言える。人間はほんの数分間呼吸を止めるだけで死に至る。われわれは、人間が生きていくためには空気が必要だと言う。この場合も生きている主体は人間であり、空気はあくまでその補助手段である。つまり生き物は人間であり、空気は物質となる。しかし逆に、本当に生命が宿っているのは空気の方であり、人間は単に空気によって生かされているのだと考えることもできる。つまり生き物は空気の方で、人間は単なる物質ということになる。

 

ベルグソンは記憶(つまり精神)とは、水や空気のようなものだと考えた。われわれが「私」とか「我」とかを自覚するのは、我々が記憶を持っているからである。ところがこの記憶というものは、水や空気と同じように、もともとは我々の肉体の外に存在していたものである。単なる物質である肉体に記憶という精神実体が入り込むと、初めてそこに意識が宿り、「私」とか「我」とかを自覚するようになる。肉体は単なる物質であるからいずれ寿命が尽きる。肉体が死ぬと「私」としての個の意識は無くなるが、記憶はもとの宇宙に帰ってゆく。水や空気と同じで、肉体が滅びた後も記憶(魂)は連綿と生き続けるのである。

 

水や空気は地球の表面やその上空をまんべんなく覆って遍在するものである。人間が自分の体内に取り込む水や空気は、そのほんの一部でしかない。人間は自分が生きていくために必要な水や空気を、必要な時に必要な量だけ、体内に取り込むのである。

 

同じく「記憶」は、天地創造以来の歴史が脈々とこの宇宙に満ちあふれている。人間が今現在、体内に取り込んでいる記憶はそのほんの一部でしかない。人間の脳の役割は、放っておけば無秩序にあふれてくる膨大な記憶の中から、今自分が生きていくために必要なものだけを選り分け、体内に現出させることである。言い換えれば、脳の機能とは、今自分が生きていくために必要な情報以外の莫大な量の記憶に蓋をし、シャットアウトして、無意識化することである。

 

「現在」という時は存在しない。「今だ」と思った瞬間に過去になる。時間を細分化し、一秒の何千分の一、何万分の一という風に分解していけば、現在などという単位は存在しない。現在と思っているのは、過去の記憶である。われわれは過去の記憶を呼び覚ますことにより、現在を認識しているのである。

 

「過去」は存在しない。過去は過ぎ去ってしまった時間である。存在するのは現在だけである。しかし、現在という時間も存在しない。現在はすでに過去である。時間を一秒の何千分の一、何万分の一と極限まで細分化していけば、現在も過去も極めてあいまいな概念である。

 

あるのは「記憶」だけである。人間が存在するのは、記憶の中だけである。ベルグソンが証明したように、人間の脳は、膨大な「無意識」の世界の記憶の中から、いま必要なものだけを選り分けて、「意識」しているのである。一人ひとりの人間は、異なったフィルターを通して、異なった世界を見ている。

 

人は世の中をあるがままには見ていない。人は自分たちをとおして世の中を見ている。一人ひとりの人間は、「ほかの人とは違った」世界を見ている。人はみな、異なった「フィルター」を通して、過去の記憶を呼び覚ましているのである。

 

新宿や渋谷のような繁華街では、限られたスペースに人や車や建物がひしめき合っている。視覚的にも聴覚的にも、人間が識別できる許容量をはるかに超えた情報や騒音があふれている。われわれの脳はその情報の大半をシャットアウトし、あたかも望遠レンズの焦点を絞り込むように、それらのほんの一部を識別しているに過ぎない。それは人間が一つの事物に意識を集中するために、あえてそのような能力を身につけたからである。そのような能力なしに現代人は、複雑で巨大な社会の成員として生きていくことはできないのである。

 

ところがこの大都会を数分眺めただけですべてを記憶し、別室にこもってその風景を再び紙の上に描くことができる人がいる。建物の位置や形や店の看板の名前まで、克明に再現できるのである。一方で、電話帳を一冊まるごと記憶できる人や、数年先の日付の曜日をピタリと当てることができる人がいる。このような人々をわれわれは、天才的な記憶の持ち主だと思っている。しかし実は彼らは、単に脳の記憶のメカニズムに障害をおこした人たちなのである。

 

情報をシャットアウトする機能に障害を起こしたため、彼らの脳には時間的にも空間的にも制約を外された膨大な情報が、洪水のようにどっとあふれ出てくる。そのために情報の整理がつかず、普通の人間のような社会生活が送れない。つまり記憶とは、放っておけばあふれ出てくるものであり、それを遮断したりコントロールしたりすることの方がはるかに高度で難しい作業なのである。

 

我々はよく物忘れが激しくなったなどと言うが、それは頭の中から記憶が消えるわけではない。記憶そのものは消せないものである。なぜなら記憶とは、人間の脳の中には存在しないからである。ではどこにあるのか、という発想そのものが二次元的で見当はずれだと言われている。記憶とは、宇宙の精神とも言うべきものであり、どこか異次元の世界に厳然として存在するものである。人間の脳はただその宇宙の記憶装置にアクセスする能力だけが備わっている。そしてそのアクセスの仕方の違いが、人間を人間らしく、動物を動物らしく、鳥を鳥らしく、魚を魚らしく、植物を植物らしく、石ころを石ころらしくしているのである。

 

私は時々ぼんやりと空を行く雲を眺めることがある。最近気が付いたことだが、雲というのはじつにさまざまな形をしている。そして、時々刻々とその形を変えていく。ほんの数分目を離しただけで、もうすっかり空の様子が変ってしまうことがある。ほんの数秒空から目を離して、再び元にもどすと、もう雲の形が変っていることもある。ところが連続して、じーっと雲を見つめていると、この変化にまったく気づかないのである。私の目には、ただ同じ形をした雲が、大空をゆっくりと西から東へと流れてゆくようにしか見えない。不思議な現象である。

 

連続してゆっくりと流れる時間や空間の中に身をおくと、周囲の環境や社会の変化は識別しにくい。それはベルグソンが証明したように、われわれの脳は、今生きていくために必要な情報のみを選り分けて識別し、「現在」を認識して、他の情報はシャットアウトしてしまう性質があるからである。人間には聞き取れない高音域や低音域が存在するように、記憶の世界にも、あまりに高速で移動するものや、きわめて低速の変化は識別できないエリアがあるようである。人間の視力や聴力や嗅覚に限界があるように、記憶力にも限界があるのである。アフリカの未開人に視力が3.0とか5.0などという部族がいるように、その時代の生活環境に適応して、視力と同じく記憶力も異なっていたに違いない。

 

どこで聞いた話だか忘れてしまったが、ユングだったか誰だったかが、アフリカの土人の前である程度まとまった話をした。するとその土人が、ユングが話し終わる否や、その話の内容を初めから終わりまで一字一句違わずに復唱してみせたという。文字を持たない未開の土人は、頼れるのは自分の記憶だけである。だから、古代人の記憶力は驚嘆すべきものがある、という話だった。これは「記憶」というものを考える上で、大変興味深い話である。

 

古代のように百年一日のごとく、技術革新などほとんど見られない時代には、非常にゆったりとした時間が流れていたであろう。人類が火の使用を覚えたり、農業を発明したり、馬に乗ることを覚えたり、古代の技術革新は何百年・何千年という長い時間の単位でしか発生しない。だから古代人が記憶の単位を長いスパンに設定していたとしても、彼らの頭にはなんの混乱も生じないであろう。縄文人は自分の親の時代にも、祖父の時代にも、ほとんど同じ生活をしていた。だから突然祖父の時代の記憶がよみがえったとしても、彼は現在とほとんど同じ光景を見ることになる。古代人の記憶を呼び戻す時間の単位は、数年・数十年と非常に長い時間に設定されていたに違いない。アフリカの土人が、数十分程度のユングの話を記憶するのは、そんなに難しいことではなかったはずである。

 

ところが現代のような変化の激しい時代には、われわれの周囲には、日々大量の情報がものすごいスピードで流れている。もし大都会の真ん中で、記憶のトビラを1日、いや1時間だけ開けっ放しにしただけで、われわれの頭の中はたちまち大混乱におちいるだろう。たぶん情報の整理がつかずに、発狂してしまうだろう。だから現代人の記憶のスパンは非常に短い、多分数秒・数十秒程度の単位に設定されているはずである。情報は(99.999パーセント以上の情報は)、記憶の網をすり抜けていく。だからわれわれはほとんど何も覚えていない。現代人は、記憶に関しては、まるで痴呆のようである。しかし実際には、「記憶を消す」ことぐらい難しいことはないのである。人類は、99.999パーセントの記憶を「消し去り」、両目を正面に揃えて並べ、じっと針の穴を通すように一点に記憶を集中させ、複雑で高度な情報を読み取り、文明を築くことに成功したのである。

 

 (2018/08/15)

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