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2018年1月

夢か、まぼろしか

秋も深まって朝晩肌寒くなってくると、子どもの頃おねしょをしたことを想い出す。今にして思えば他愛のない幼児の頃の出来事だが、当時の私にとっては切実な問題であった。私は確かに、土手の草むらに向かっておしっこをしていたのである。秋風が心地よく頬をなでる感触さえ生々しく覚えている。ところが無情にも、やがて太ももを伝わる液体の生暖かい感触にハッと我に返る。ああ私はまた「おねしょ」をしてしまったのだ、と気づいたときには既に遅い。子供心にもこの理不尽な夢の世界のからくりには、独りやり場のない無念さを味わったものである。

 

夢の中では誰でも、自分がいま夢をみているとは思わない。例えそれがどんなに奇妙な物語でも、それと気づくのはいつも目覚めた後のことである。眠っている間は誰でも、まるで母親に抱かれた赤ん坊のように、夢の世界を全面的に信頼している。人々は夢の中で本気で逃げ惑い、足がもつれて、恐怖心から冷や汗を流す。そして目覚めるや否や「ああ夢だった」と、一瞬にして悟るのである。夢の中の恐怖から解放されてホッと胸をなでおろす人もあれば、夢を信用したばかりに「おねしょ」をしてしまう場合だってある。

 

だから夢を見ておねしょをしてしまった子どもを叱ることは誰にもできない。なぜなら眠っている子どもには、自分が今夢を見ているのだということがわからないからである。事前にこれは「おねしょ」だとわかっていて、布団のなかにオシッコをする子どもはいない。彼は正しくトイレで用を足していたのである。然るに蛇口の先端を緩めるや否や、回り舞台みたいに場面がくるりと回って、今度は布団のなかに横たわっている。こんな理不尽なからくりを一体誰が考え出したのだろうか。それは時計の針を前に戻せないのと同じく、何か人間の能力をはるかに超えた鬼神の仕業としか考えられないではないか。

 

人間がものごとを認識するメカニズムは、眠りながら夢を見るのとたいして変わりはない、とフロイトは考えた。彼は長い年月を夢の分析に費やした結果、ついに「無意識」の世界が存在することを発見した。我々の脳髄は、宇宙のように膨大な無意識の世界にアクセスし、その中から今必要なものだけを選り分けて「意識」しているのである。それはあたかも広大な砂漠の中から、砂粒を一つずつ拾うような作業である。だから拾った砂よりも、拾われなかった砂、つまり無意識の世界の方が圧倒的に大きいのである。

 

新宿や渋谷のような繁華街では、限られたスペースに人や車や建物がひしめき合っている。視覚的にも聴覚的にも、人間が識別できる許容量をはるかに超えた情報や騒音があふれている。われわれの脳はその情報の大半をシャットアウトし、あたかも望遠レンズの焦点を絞り込むように、それらのほんの一部を識別しているに過ぎない。それは人間が一つの事物に意識を集中するために、あえてそのような能力を身につけたからである。そのような能力なしに現代人は、複雑で巨大な社会の成員として生きていくことはできないのである。

 

ところがこの大都会を数分眺めただけですべてを記憶し、別室にこもってその風景を再び紙の上に描くことができる人がいる。建物の位置や形や店の看板の名前まで、克明に再現できるのである。一方で、電話帳を一冊まるごと記憶できる人や、数年先の日付の曜日をピタリと当てることができる人がいる。このような人々をわれわれは、天才的な記憶の持ち主だと思っている。しかし実は彼らは、単に脳の記憶のメカニズムに障害をおこした人たちなのである。

 

情報をシャットアウトする機能に障害を起こしたため、彼らの脳には時間的にも空間的にも制約を外された膨大な情報が、洪水のようにどっとあふれ出てくる。そのために情報の整理がつかず、普通の人間のような社会生活が送れない。つまり記憶とは、放っておけばあふれ出てくるものであり、それを遮断したりコントロールしたりすることの方がはるかに高度で難しい作業なのである。

 

我々はよく物忘れが激しくなったなどと言うが、それは頭の中から記憶が消えるわけではない。記憶そのものは消せないものである。なぜなら記憶とは、人間の脳の中には存在しないからである。ではどこにあるのか、という発想そのものが二次元的で見当はずれだと言われている。記憶とは、宇宙の精神とも言うべきものであり、どこか異次元の世界に厳然として存在するものである。人間の脳はただその宇宙の記憶装置にアクセスする能力だけが備わっている。そしてそのアクセスの仕方の違いが、人間を人間らしく、動物を動物らしく、鳥を鳥らしく、魚を魚らしく、植物を植物らしく、石ころを石ころらしくしているのである。

 

東京の市ヶ谷から飯田橋にかけての線路沿いに、かつての江戸城の外堀が残っている。私はその辺りをよく歩くのだが、この寒空の中を水中にもぐって無心にエサを探している水鳥がいる。私はふとあの水鳥の記憶装置はどうなっているのだろうか、と考えた。彼らの目には、この世界がどのように映っているのだろうか。当然、人間とは異なった風景を見ているのだろう。多分その疑問を解く鍵は、彼らがどのように生活しているかということと深く関連しているに違いない。

 

トリは全身を羽毛でおおい、両腕に強い筋肉を付けて翼に変えた。体型を流線型にして、空気や水の抵抗を少なくしている。体温を高く保って、寒風でも冷たい水中でも平気である。高性能の望遠鏡のような視覚は、上空から水面の小魚さえ見分けることができる。彼らは空中を飛ぶことも、水中に潜ることもできる。春になるとはるかシベリアまで飛んでいくし、秋になるとまた皇居のお堀に帰ってくる。レーダーのような探知能力は、人間をはるかに超えた記憶の持ち主のように見える。

 

一方で人間は成人でさえ嬰児のように無防備な裸である。コートやマフラーなしには冬の寒さに耐えられない。寒中水泳をする人はいるが、生活のためというよりむしろ趣味でやっているにすぎない。まして空を飛べる人間などいない。しかし人間は飛行機を発明した。ジャンボジェットはいっぺんに数百人の人間を乗せてアメリカまで飛んで行ける。トリは自分自身を飛行機に変えたが、人間は自分の肉体には指一本触れずに空を飛ぶ「機械」を発明した。これが人間とトリとの決定的な違いである。この「発想の違い」こそが、人間とそれ以外のあらゆる生き物の記憶装置をまったく異質なものにしているのである。言い換えると人間の幸不幸も、すべてここからスタートしているのである。

 

人間以外のあらゆる生き物は、環境に合わせて自分自身のカラダを変形させる。地球上の限られたスペースで自分の居場所を確保するために、他とは異なった特殊な技能を身につける必要があったからである。あるものは草原の枯れ草色に全身をカモフラージュしたり、地上を猛スピードで駆け抜けたりする能力を身につけた。またあるものは鋭いキバやツメを生やしたり、あるいは首を伸ばしたり鼻を伸ばしたりした。種とは他と差別化することによってのみ、この惑星上での生存を許されたのである。その結果、地上にも地中にも、空中にも水中にも、地球上は驚くほど多様な生物で満たされた。

 

地球上が多様な生物で埋め尽くされたまさにその瞬間に、これとは全く反対の動きをする生物が現れた。人類の出現である。人間は自然環境の隙間に自分の居場所を求めようともしなかったし、特殊技能に特化して自分の体型を変えようともしなかった。人間は大胆にも(創造主に逆らって)、自然環境そのものを自分に合わせて変えようとした。1万年前のメソポタミアで小麦の栽培に成功すると、人類は農業を発明した。食べ物を探して移動するのを止め、逆に自分の周りに食べ物を実らせる植物を植えた。これはあたかも自分が創造主になったような、大胆な発想の転換だった。

 

人間も猿も、イルカも海亀も、魚も鳥も、胎内の嬰児の姿は驚くほど似かよっている。しかし成長するにつれて徐々に、動物は動物らしく、鳥は鳥らしく、魚は魚らしく枝分かれしていく。即ちすべての生き物は胎内で、その全進化の歴史を一代で遡って、それぞれの「おとな」に成長するのである。ただ人間だけが、嬰児の姿そのままに成人する。彼らには肉食獣のような鋭いキバやツメもないし、トリのような翼や羽毛もないし、イルカのような流線型の体形や強靭な尾ビレも持たない。

 

不思議なことに、肉体的に無防備な人間だけがこの地上に高度な文明を築くことができたのである。彼らは(幸いにも)、速く走ることも寒さに耐えることも、空を飛ぶことも水中に潜ることも出来なかったので、色々な「道具」を発明する衝動にかられた。彼らは羽毛の代わりに衣服や住居を作り、鋭いキバやツメの代わりに刀や銃を作り、速い足の代わりに汽車や自動車を作り、翼の代わりに飛行機を作った。

 

つまり人間の特徴は、無防備な肉体と表裏一体の、そのユニークな頭脳にある。他のあらゆる生き物が自分の肉体を改造したのに対して、人間は自分の精神世界を改造した。開きっぱなしだった宇宙(創造主)のデータベースへの弁を、自らの意思で開閉する術を身につけたのである。その結果、人間はものを「考える」ことができるようになった。

 

あらゆる生命体は生きるための知恵を授かっている。このような知恵を我々は「本能」と呼んでいる。本能は無意識の世界からやってくるものである。我々は特別に意識しなくても空気を呼吸し、水を飲み、食物を食べ、生殖をして子孫を残す。さんさんと降り注ぐ太陽の英知を体内に取り込み、自然と一体化することにより、我々はこの地球上に生命を維持していくことができる。

 

もちろん人間も一つの生命体であることに変わりはない。体内には他の生物と同じ宇宙の摂理が流れている。しかし一方で人間は、独自のデータベースを持っている。言葉や文字や数字を使って情報を共有化することにより、人類は高度な社会を形成することができた。つまり人間は二種類のデータベースを持っているのである。一つは無意識の世界であり、もう一つは人類に特有の「意識」の世界である。前者は生命に関する偏在的な知恵であり、後者は言葉による社会に関する情報である。

 

人間は宇宙を一たん言葉や文字や数字に置き換えることにより、事物を抽象的に捕らえる方法を学んだ。混沌とした世界は言葉に置き換えることにより細分化され、一つの断片に切り取ることができる。咀嚼し、理解し、飲み込み易くなる。そして何よりも、それは記号化され客観化されて、交換が可能になったのである。人々は言葉を交わすことにより、情報を共有化することができるようになった。

 

最初はシンプルな言葉で、家族や部族の小さな集団を形成した。やがて人々は文字を発明し、言葉は紙の上に形として残るようになった。視覚化された言葉は、時間をかけてじっくりと改良することが可能になった。その結果、より高度で複雑な表現が可能になった。時間と空間の制約を解き放たれた文字情報は、より広範囲な人々に共有されるようになった。やがて都市が生まれ、社会はより高度なものに変っていった。

 

数百年前の西ヨーロッパに近代的な国民国家が誕生し、それは瞬く間に全世界に広がっていった。いまや21世紀の世界は、グローバル経済と呼ばれる巨大な市場が生まれようとしている。このような地球規模の巨大な社会の形成には、より普遍的で抽象的な言葉が必要になってくる。そして「数字」が出現した。数字こそは究極の抽象性と普遍性を備えた言語である。現在の高度な物質文明は数字を抜きにしては考えられない。

 

「数字」の有用性を発見した中世の西ヨーロッパ人は、飛び上がらんばかりに喜んだ。なんと宇宙は数学的に整然と動いていたのである。宇宙の真理は数字で書かれていた。混沌として捉えどころのない世界を測定し、数字に置き換えさえすれば、それは紙の上に静止する。宇宙の断片を切り取ってきて、まるで数学の問題を解くように、じっくりと机の上で観察することが可能になる。「くつわ」をはめて馬を慣らすように、数値化することにより人間は自然を手なずけていった。物事と物事の変わらぬ関係を「法則」と呼ぶ。法則という(創造主の)暗号の解読に成功した人類は、やがて自然を意のままにコントロールできるようになった。

 

数学の進歩は物理学の発展を促し、物理学は次々と新しい科学的な発見を生み出した。人類は「科学」という呪文を唱えることにより、自然から無限の利益を引き出すことが可能になった。科学万能の時代が到来した。科学的ということと「正しい」ということは同じ意味になった。非科学的なことは、信ずるに足りない迷信だと決めつけられた。人間が理解できるのは数量的な概念だけであり、数値化できない物事は取るに足りない「たわごと」だとされた。ものごとを数量的に理解する能力において、人間は「神」と肩を並べたとさえ自惚れるようになった。そして人間は、人間そのものの集まりである社会も、数量的にコントロールできるはずだと考えた。

 

資本主義と呼ばれる社会システムは、「数字」を社会の言語に据えたものである。そこでは「お金」と呼ばれる数字が、すべての経済活動を測定する。資本主義は人間の経済活動を、恐ろしく抽象的で普遍的なものに変えた。それはグローバルな市場の言語としては最適なものだった。しかし宇宙の果てまで届くその普遍性は、アフリカの僻地の農民までもゼニ勘定に巻き込まずにはおかなかった。この社会では、「生きる」ということと「計算」するということは同じ意味になった。「収入>支出」という不等式を満たさない者は、この世で生きていくことさえ難しくなった。人生においては、経済的な問題がすべてだとされた。

 

私は終戦直後の伊豆の小さな漁村で少年時代を過ごした。山がそのまま海に陥没したような地形で、急な斜面に沿って屋根の低い家々がへばりつくように並んでいた。何をするにもこの斜面を上り下りしなければならず、厳しい労働の日々だった。半農半漁の小さな漁村で、人々は古代人とたいして変わらない自給自足の暮らしをしていた。お金を出して物を買うなどということは、めったになかった。私は紙芝居が来ると、母親からスルメを二枚もらって見に行った。毎週日曜日には魚を持って隣村の母の実家に行き、帰りには野菜や米などをもらって帰ってきた。人々は物々交換で生活していた。

 

先日ネパールの高地人の暮らしをテレビで観たが、少年時代の伊豆の暮らしとたいして差はないと思った。ただ不思議に思ったのは、この貧しさの中で子供たちの笑顔が底抜けに明るかったことである。そういえばアジアでもアフリカでも、発展途上国と呼ばれる国々の子どもはどうしてこうも生き生きしているのだろうか。国の貧しさと子どもの明るさは比例するのだろうか。昔のアルバムをめくってみると、確かに私も元気のよさという点では後進国並みだった。セピア色の写真の向こうで、少年時代の私は生きていることが楽しくてたまらないという顔をしている。

 

当時の貧しい少年の目からみれば、現在の東京は想像もできない程の豊かさである。ハリウッド映画で見たあのアメリカの大都会の風景そのままである。当時はあんなに豊かなアメリカ人たちは幸せだなぁ、と羨ましく思ったものである。ところがその後の高度成長で、日本も先進国の仲間入りを果たした。あの羨望の的だったアメリカの暮らしが現実のものになったのである。科学技術に牽引され、(資本主義や市場経済と呼ばれる)われわれの社会システムは大成功を収めた。それはいにしえの空想家たちが想い描いた最も楽観的な「理想郷(ユートピア)」をもはるかに超えている。ところがこの極楽浄土のような豊かな社会の中で、人々は何となく捉えどころのない不安感を抱えているのである。

 

今の若者の中には、自分の将来に不安を感じている者が少なくない。大学は出ても就職できない者がいる。キャリア形成の最初のステップを踏み外すと、その後安定した仕事に就くのが難しくなる。だから一生結婚もしないし、結婚しても子供をつくらない。一方で社会の高齢化と少子化は急速に進んでいる。これからの年金制度はどうなるのか、誰が老人の介護をするのか。国の財政赤字は1,000兆円に迫ろうとしている。もはや国に国民の面倒をみる余力は残っていない。こうなってくると長生きは最大のリスクとなった。冗談ではなく、生命保険の代わりに「長生き保険」が必要な時代になったのである。

 

しかしよく考えてみると、これらの不安の根底には必ず数量的な思慮が隠されている。つまり計数的な勘定が合わないことからくる不安である。若者が就職できないのも失業するのも、企業のゼニ勘定が逼迫したことが原因である。企業が倒産するのも、投下した資金に見合うリターンが上げられないからである。年金制度や健康保険制度が危機に陥るのは、国家の財政の帳尻が合わなくなったことが原因である。若者が結婚しないのも、子どもをつくらないのも、将来の収入の見通しが立たないためである。これらはすべて「収入>支出」という不等式が満たせないことから来る不安である。

 

貧しかった時代の底抜けの笑顔と、豊かさを手に入れた現在の不安感は何を意味しているのであろうか。誰でも貧しさより豊かさの方がいいに決まっている。そこになんら問題はない。だから不安感は豊かさそのものからではなく、豊かさを手に入れるプロセスから来ているのではなかろうか。この社会の「しくみ」のどこかに、人々の心の平安をかき乱す何ものかが巣くっている。豊かさを手に入れるために、人びとは人間性と相容れない異物を飲み込んでしまった。それは科学技術や、(資本主義や市場経済と呼ばれる)社会システムや、それらの生みの親である数字という言語の中に含まれる何者かであるに違いない。

 

科学技術や物理学が数学から成り立っているのと同じく、我々の社会・経済システムは数字という言語で組み立てられている。毎朝のテレビのニュースでは必ず株式市場と為替市場の相場を報道する。これらの数字の変動が、この社会の核心であることを示している。景気の良し悪しも、政府の予算も日銀の金融政策も、金の価格も原油の値段も、物価も年金も、賃金も失業率も、インフレもデフレも、すべて数字で語られる。企業の業績を示す財務諸表はすべて数字で書かれている。我々は日々数字を見て一喜一憂している。現在の社会の特徴は、数字という記号で人間が組み立てられていることである。そしてそのことの持つ不自然さに、疑問を投げかける者はほとんどいない。

 

およそ人間と数字ほど、その性質を異にするものはない。もし数字のような人間が周囲にいたら、皆の鼻つまみ者になることは間違ない。彼は「答え」をたったの一つしか持たない。だからその場の状況に合わせて融通を利かすということができない。空気が読めない(KY)。相手が総理大臣であろうと、絶世の美女であろうと、自分の考えを決して曲げようとはしない。時間も空間も超越したそのガンコさは、はっきり言って人間としてはバカに属する。しかし馬鹿もここまで徹底していれば、使い途によっては有用な道具になり得る。天文学や物理学の分野では、このバカが実は鋭い切れ味を示すことを実証したのである。

 

しかし物理学や天文学で成功したからと言って、それをそのまま人間の世界に持ち込むには問題がある。しょせん、バカはバカである。人間はバカの指示に従うことには耐えられない。社会の言語としての数字は、人間を数字並の思考レベルに引きずり降ろす。数字の社会(民主主義社会)では、数の多寡で大事な国政上の判断が決められる。偉人も凡人も、月もスッポンも、ダイヤモンドも石ころも、定量的に一つとカウントする。それが「平等」だとされる。その常識を超えた「合理性」ゆえに、数字という言語は人の神経を逆なでする。

 

数字の持つ顕著な特徴の一つは、その単純性であろう。数字は「多いか、少ないか」以外には何の意味も持たない。子どもでもわかるその単純性ゆえに、数字は宇宙の果てまでも届く真理となった。具体的で形のある物を数字に置き換えれば、複雑な事物も単純化できる。ダイコンもキャベツも、豚肉も鶏肉も、甘い物も酸っぱい物も、おいしい物もそうでない物も、スーパーマーケットでは数値化されて並べられている。いったん数値化すれば、取引は単なる計算となる。様々な個性を持った顧客を、標準化され規格化された流れ作業で処理できるようになる。

 

ここで注意しなければならないことは、数値化は単なる手段だということである。カボチャとニンジンを数字に置き換えれば、両者を同じ土俵の上で比較できる。取引が容易になる。しかしカボチャとニンジンがまったく同じになった訳ではない。相変わらずカボチャはカボチャであり、ニンジンはニンジンであり続ける。ところが一旦お金に置き換えると、もとの個性は消し去られてしまう。そしてすべてはお金という言葉で語られるようになる。新幹線に乗れば、周りの景色は飛ぶように流れ去ってしまう。立ち止まらなければ目に留まらないような、小さな草花には気づかなくなる。時間的な便利さを優先すれば、視界から消え去る風景が出てくるのは道理である。

 

我々は経済の話をするときは数字を用いる。総理大臣も日銀の総裁も、会社の社長もCFOも、数字を使って問題を理解し決定を行う。それが「合理的」で正しいことだとされている。しかし数字は複雑な物事を過度に単純化してしまう。その結果物事の本質を見失い、判断を誤ることだってある。カボチャとニンジンに光を当てれば、背面の壁にクッキリと影ができる。同じ二次元の平面上で、両者の形を比較できるようになる。しかしその影からは、カボチャの黄色い色や、ニンジンの赤い色は消されている。数値化とは物事の一面に光を当て、カゲの部分を消し去ることである。しかし消された影の部分にも、大切な意味が含まれているのに違いない。

 

われわれは日本人として生まれたからには、その心持を表現しようとすれば日本語で話すしかない。同じく経済事象を説明しようとすれば、数字で語るしか方法はない。その結果、多いか少ないか、白か黒か、という二者択一論で経済現象を判断することになる。そして子どもでもわかる愚かな過ちを繰り返す破目に陥る。過去数百年の資本主義の歴史は金融危機の歴史でもあった。しかし何回バブルがはじけても、何回金融危機に襲われても、人類はこの惨禍から逃れることはできなかった。それは数字という言語が、決してバブル現象を識別できないことを示しているのである。

 

株価も為替相場も不動産相場も、値段は上がるか下がるか二つに一つである。日々の相場は上がったり下がったりする。一週間の相場も、日々の上下を繰り返しながら、週間としても上がったり下がったりする。一月間の相場も、日々の上下と、週間の上下を繰り返しながら、月間単位としても上げ下げをする。年間の場合も同じである。われわれは3年前の相場を見て、あぁこの3年間で株価は2倍に上昇した、と初めて理解する。過去のことは記録を見れば簡単に知ることができる。しかし未来のことは誰にもわからないのである。それは「あぁ、夢だった」と気づくのが、いつも目覚めた後であるのと同じ理屈である。

 

この数ヶ月の株価の下落は、上下しながら上昇を続けてきた上げ相場の途上にあるのか、それとも新たな下落相場の始まりなのか、誰にも判断できない。同じようにバブルかバブルでないかは、後になって振り返ってみて初めてわかる現象である。だからバブルから逃げる方法もない。それはさざ波の打ち寄せる岩礁で安心している釣り人が、突然大きなうねりにさらわれるようなものである。ITバブルにサブプラームローン、リーマンショックに中国バブル、そして今まさにアベノミクスという新たな構想が打ち上げられている。有り余るグローバル・マネーは、屁理屈でも何でも構わないから、新たな投資のストーリーを描いてくれとせがんでいる。

 

バブル崩壊で20年間デフレに苦しんだ日本人は、二度とバブルに引っかからないと思われている。しかしそんなことはない。株価が上向けば、人々はまた性懲りも無く熱狂するに違いない。バブルや金融危機は、これから先も何度でも、繰り返して、この世界を襲ってくるに違いない。(資本主義・市場経済と呼ばれる)現在の社会システムが存続する限り、言い換えれば数字が社会の言語として採用されている限り、金融危機から逃れる術はないのである。それは人間が愚かだからではなく、数字そのものが読み取れないように出来ているからである。宇宙の果てまで届くその普遍的な言語は、水や空気のように透明である。経済という人間くさい営みを説明するには、余りに抽象的かつ単純すぎるのである。

 

アダムとイヴが知恵のりんごの実を食べて以来、人類は二つのデータベースを持つことになった。とは言っても原始時代の言葉はほんの僅かなものだった。ほとんどは「無意識」の世界が支配していた。地球上のあらゆる生き物と同じく、人間も「本能」で生きていた。しかし人類が文字を発明した頃から、この「社会」に関する情報は徐々に増えていった。300年前の西ヨーロッパで産業革命が勃発すると、新たに「数字」に関する情報がこれに加わった。第二次大戦後のアメリカで情報革命が起きると、人類が共有する「社会システム」に関する情報量は飛躍的に増加した。現在の先進国では「意識の世界」へアクセスする弁は開きっぱなしになり、「無意識の世界」へのパイプは錆び付いてきた。

 

「意識」のデータベースの露出度が増えるにつれて、人々は「本能」を忘れていった。生命体としての拠り所を失った「根無し草」は、ふわふわと虚構の世界をさまよい歩くことになる。言葉は単なる虚構である。それは現実の世界を音声や文字に置き換えただけのものである。だから言葉を一日中しゃべり続ける現代人は、一日中虚構の世界をさまよっていることになる。その結果現実離れをした心配事や、将来に対する漠然とした不安感に取り付かれることになる。

 

魂を失くした「根無し草」は、孤独感から人々との絆を求める。そしてさらに大量の言葉を周囲に撒き散らすことになる。しかし「根無し草」同士のおしゃべりからは、孤独感が癒されることはない。何故ならこの孤独感は、自らの精神の故郷である「無意識の世界」を喪失したことから来ているからである。この世のあらゆる生命は、宇宙の中心にある精神世界にしっかりと根を張って生かされている。インドの聖人が言っているように、人間も動物も、鳥も魚も、植物も石ころも、根っこは一つに繋がって生々流転の旅をしているのである。

 

東京の地下鉄に乗ってみるといい。座席に座るや否や、人々は携帯を操作して自分の世界に閉じこもる。小さな窓を通して「社会」との接点を探る善良な市民の姿は、見ているだけでいじらしくもあり悲しくもある。あぁ人間はどうしてこんな風になってしまったのだろうか。海亀もイルカも、ヘビもカエルも、ヒヨドリもメジロも、ツバキもサザンカも、生きとし生ける者はすべて個性的で美しく、生命を謳歌しているように見える。人間だけがどうして陰気に背をかがめて、デジタル機器の小窓を覗き込んでいるのだろうか。子どもの頃はあんなに生き生きと楽しそうだったのに。

 

空を見上げると、今日も真っ青な空に白い雲が浮かんでいる。はるかな上空を、なんとカラスがたった一羽どこまでも飛んでいく。大きなクスノキがこんもりと繁り、そよ風にキラキラと葉を揺らしている。その梢の隙間を、ヒヨドリが猛烈なスピードで通り抜けていく。シイノキの薄暗い繁みの中で、何か大きな鳥が動いている。キジバトの夫婦だ。不器用に枝から枝へと歩きながら、何かをついばんでいる。突然頭上でシジューカラが、辺りの空気を切り裂くように「ツー・ツー・ピー」とさえずりだした。

 

私は既に30分以上も、ぼんやりと窓の外の景色を眺めている。言葉は一言も発しない。それどころか頭の中から、一切の言葉や文字や数字を排除しようと努めている。何故なら私は、少年時代の記憶をカラダでよみがえらそうとしているのである。繁みの中でキジバトが「ドテッポー・ポー」と鳴いたとき、私はかすかに昔の記憶がよみがえってきた。急斜面の石ころ路に秋風が吹く頃、私はこの声を聞きながら学校へ通ったのだ。体の中をじわりと、なつかしい記憶が甦るのがわかった。波の音、潮の香り、松林を吹き抜ける風の音、どこかで鳴く鳥の声、子供たちの笑い声。そうだ私は、風の歌を聴いて育ったのだ。

(2013/02/26)

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戦後70年に想う

今年(2015)は戦後70年ということでマスコミでも色々と話題になっています。ところが私はその終戦の日が誕生日なのです。昭和20815日の正午頃に、私は関東州(満州)旅順郊外の金州・閻家楼というところに生まれました。最近わかったことですが、ここは乃木将軍の長男が日露戦争で戦死した場所だということです。

 

現在の私の職場は青山で、すぐ近くに青山墓地があります。都心にしては緑が多く敷地が広いので、昼休みによく散歩します。お寺の脇から入ってすぐのところに乃木将軍のお墓があります。思ったより小さなお墓です。百坪以上もあろうかという大久保利通の墓に比べると、まことに質素なものです。漬物石のような乃木さんのお墓の前には、日露戦争で亡くなられた二人のご子息の墓が並んでいます。ある日何気なく石塔に刻まれた文字を追っていると、ハッと驚きました。

 

乃木勝典

明治三十七年五月二十六日金州城東南角壁外ニ戦傷

同二十七日閻家楼第一師団第三野戦病院ニ歿ス

 

金州の閻家楼とはまさに私の出生地です。これも何かの縁かと思い、それ以来私は時々乃木さんのお墓にお参りをしています。石に刻まれた文字を眺めながら、私はぼんやりと日本の歩んできた歴史について思いを巡らします。明治維新以来の我が国の近代化の歴史は戦争の歴史でもありました。日清・日露に始まり、特に今次の大戦では未曽有の被害を出しました。どこの家でも肉親に戦死者が一人や二人いるのは珍しいことではありません。激しい空襲で、日本国内いたるところが戦火に見舞われました。戦後70年が経ちましたが、いまだに国民の心の中には深い戦争の傷跡が残っています。

 

一つ違いの兄と、生後一年半の私は、母に「おんぶ」と「だっこ」で真冬の日本に引き揚げてきました。終戦の混乱の中で、母の苦労は並大抵のものではなかったろうと思います。女ばかりの6人姉妹の真ん中に生まれた母は、どちらかといえばおっとりとした娘だったようです。この小柄な女性のどこにあの激動の時代を乗り切ってきた激しい気性が潜んでいたのかと思うと、なんだか不思議な気持ちがしてきます。母は今年95歳で健在です。

 

私の父はノモンハン事件の生き残りで、父の兄はガダルカナルの生き残りです。ノモンハンもガダルカナルも激戦で、戦死者の中に飢えや病気で倒れた者が多数含まれていた点が似通っています。それもそのはずで、両戦とも辻政信という参謀が作戦に深く係っていました。弾薬も食料も底をついた中で、陣地を死守せよとのむちゃな命令が被害を大きくしました。この激戦の中でも、私の父も伯父も無傷で帰ってきました。極限の状況でもめっぽう生命力の強い野崎家は河内の国・野崎村の出身で、楠木正成を先祖に持つ家系だということです。

 

終戦の日に生まれた私が、いまや70歳の老人になろうとしています。ノモンハンを戦った父も、ガダルカナルの伯父も、既に他界しています。戦争を体験した世代が徐々に少なくなってきました。戦争の記憶も、空に立ち上る煙のように、次第に薄まり消え去っていくのもやむを得ないことかも知れません。ところが奇妙なことに、記憶が薄くなってきたこのタイミングで、まったく別な形での「歴史観」が横行し始めています。

 

それは「ナチス」や「ヒトラー」、「侵略戦争」や「植民地支配」など、断片的な言葉のレッテルを貼って歴史を断罪する現象です。これらの単語に異議をはさむ者や、説明を試みる者は、まるでツイッターが炎上したように総攻撃を受けます。人々は腫れ物に触るように、レッテルを貼られるのを避けるようになりました。そこには、当時はどういう困難な時代だったのか、人々はどんな気持ちで行動したのか、という生きた人間に対する洞察がまったく欠落しています。

 

小林秀雄は、歴史とはその時代に生きた人々の心持ちを思い起こすことだと言っています。歴史とは記憶です。その時代の人々が、どんな条件の下で、どのように感じていたかを、現代によみがえらせる行為です。現在の尺度で過去を判断してはなりません。これは言うは易くして、行うはたいへん難しいことです。われわれは、知らず知らずのうちに、現在の色メガネを通して過去を判断してしまいます。そして良いとか悪いとか、白だとか黒だとか、デジタルな結論を出しています。

 

幸いにも、我々にはドラッカーの著作が残っています。「経済人の終わり」という彼の処女作は、第一次大戦と第二次大戦に挟まれた時代のヨーロッパ社会を克明に描いています。ヒトラーや全体主義、大恐慌や両次の大戦の中で、生身の人間がどのように感じて、どのように行動したか、各ページは鋭い識見に満ちています。これは彼が20代の後半に書いた作品で、1939年に出版されました。この若さで、この博識と、深い洞察力には驚嘆します。天才とはいるものだと、つくづく感心しました。

 

ドラッカーはマネジメントで有名ですが、最初は社会に対する関心からスタートしています。彼は日本ともたいへん関係が深く、日本美術の収集家でもありました。戦後70年を機に、本当の歴史を知るためにも、皆さんも是非本書を一読されることをお勧めします。特に浅薄なレッテル・ゲームにフラストレーションが貯まっている方は、目からウロコが落ちること請け合いです。

 

ドラッカーは全体主義を、あの頃世界に蔓延した「社会の病」だとしています。人間に病があるように、社会にも病があるのです。全体主義は残忍だ、非人道的だと非難しても、なんら病気の説明をしたことにはなりません。それは単に病気の症状を述べているに過ぎません。ガンは残酷なものです。罪もない幼い子供が、万力のように締め上げられます。「お母さん助けて」と子供が泣き叫ぶ。病はどんな拷問より残忍で、非人道的なものです。しかし「ガンは絶対反対だ」と訴えても、病は治りません。病を治すためには、その原因を突き止め、正しい治療法を確立した時初めて可能になるのです。

 

同じく社会の病を治すためには、「戦争は絶対反対だ」とか「あの国は非人道的だ」とデモ行進するだけでは不十分です。その本当の原因を突き止めたとき、初めて有効な対策を打つことができます。社会の病の治療法はまだ確立していません。21世紀の現在でも、世界中いたるところで全体主義が猛威をふるっています。全体主義はなにも独裁国家の専売特許ではありません。われわれの身近な日常にも、組織のあるところには必ず全体主義的な発想があります。組織がうまく機能しないと、人々は全体主義に走ります。目標を見失うと、組織そのものを目標にします。

 

我々は「社会が崩壊する」とはどのような状況になるのか、想像できるでしょうか。21世紀の成熟した社会に住んでいると、それは水や空気のように透明で、普段は意識さえしない存在です。ところが実際に崩壊してみて初めて、人々は現代社会がどのような成り立ちになっているのか実感します。忘れてはならない事は、戦前のヨーロッパでも、アメリカでも、日本でも、社会が崩壊したという事実です。人びとは生きる術を知らない赤子のように、社会の外に放り出されたのです。

 

江戸時代の農民を現在の東京のど真ん中に連れて来たら、度肝を抜かれることでしょう。林立する高層ビルの間を流れる自動車の群れ、通勤電車から溢れ出てくる人の波、何層にも交差する地下鉄や地下街、24時間眠らない都市、等々挙げ出したらきりがありません。しかし都市の外観よりも、彼が最も理解に苦しむのは、誰も自分が食べるものを自分で作らないということでしょう。コメも野菜も、魚も肉も、信じられないほど豊富な食料が店頭にあふれています。現代人は衣食住のすべてを「お金」で買います。

 

江戸時代の人々の大半は、自分で食べる物を自分で作っていました。隣の家も、そのまた隣の家も、同じようにコメを作り野菜を作っていました。だから何百人、何千人という人間が一緒に集まって住んでいても、それによるシナジー効果はほとんどありません。人々は自分で作ったものを自分で消費して、経済は完結していました。

 

ヘンリー・フォードはまともに小学校も出ていない程の無学な人間ですが、おかげで経済学の常識に捕らわれない自由な発想をすることができました。彼は自動車の製造工程に流れ作業方式を導入して、大量生産とコスト削減に成功しました。自動車の価格は下がり、大衆にも手の届くものになりました。このシステムは最も効率のよいものとして、あらゆる生産現場に普及していきました。工場だけではなく、学校や病院や政府の組織でさえ組立ラインを模倣するようになりました。

 

ヘンリー・フォードの流れ作業方式は、いわゆる「分業」の理論を応用したものです。アダム・スミスは「国富論」の中で、分業について次のように述べています。ピンの製造は、どんなに熟練した職人でも、一日でせいぜい20本作るのが限度である。ところがこの製造工程を18の作業に分解し、10人の職人が担当すると、一日に48,000本のピンを製造することができる。職人一人当たり4,800本の勘定になる。つまり製造工程を分業化することにより、生産効率は240倍にハネ上がったことになります。

 

要するに分業とは、先ず仕事を徹底的に分解し細分化する。次にこの単純化され標準化された作業をひたすら繰り返すことにより、生産効率を上げる。そして最後にベルトコンベヤーでパーツを組み立てて完成品に仕上げる。問題はこの生産方式では、各個人は細分化され標準化された、パーツのような単純労働を毎日繰り返すようになるということである。バカでもできるような仕事を毎日繰り返す人間が、本当のバカにならないという保証はないのである。

 

この生産方式を国家レベルに張り巡らしたのが近代社会です。自給自足の農民は鍬を捨て、農地を捨てて、学校教育を受けるようになります。読み書きを覚えた彼は、巨大な社会のベルトコンベヤーのどこかに組み込まれます。そしてパーツのそのまた切れ端のような、細分化・標準化された仕事を毎日繰り返すようになります。ところが単純労働の代償として「給料」を手にした途端に、彼は巨大なマーケットにアクセスできる力を手にすることになります。食べる物も、着る物も、娯楽も、あらゆる商品を市場から調達できるようになるのです。

 

このシステムでは、人は全く異なる二つの側面を持っています。一つは生産者という立場であり、もう一つは消費者という側面です。人はこのゲームに参加するためには、先ず生産者になってマーケットに物を売り、「お金」という数字を手にいれなければなりません(売る物がない人は、自分自身の時間と能力を売り給料を貰う)。そして一旦この数字を手に入れた者は、市場を介して、何百万・何千万という他の生産者の成果物にアクセスできる権利を手にするのです。

 

「市場経済」とか「資本主義」などと呼ばれているこの社会システムは大成功を収めました。江戸時代や鎌倉時代のわれわれの先人たちから見れば、想像を絶する豊かな社会です。この世に極楽浄土が出現したと言っても過言ではないでしょう。しかし人間の作ったものに完全というものはありません。ときには故障したり、壊れたりすることもあります。停電すると生活がニッチもサッチもいかなくなるように、便利になればなるほど、それが失われたときのダメージは大きくなります。

 

戦前の1929年に実際にこの市場経済システムは崩壊しました。この衝撃は世界中に広がり、大恐慌に発展しました。失業率は25%にものぼり、何千万人もの人々が社会のネットワークから振り落とされました。生きるすべを失った人々が街にあふれ、社会は不穏な空気に包まれました。この状況は第二次大戦が始まるまで、10年間も続きました。ナチスやヒトラーはこのような状況下で登場してきました。解体した資本主義・市場経済システムから振るい落とされた人々を、どうにかして社会という外殻に繋ぎ止めようとする必死のあがきが全体主義だったのです。

 

もちろん全体主義の残忍さや、自由を束縛する暴力は許すことはできません。だからといって「ヒトラー」一人にレッテルを貼ってすべておしまいというのは、あまりに短絡的過ぎます。特に今次の大戦は、一部の戦争指導者に率いられたものであり、国民はむしろ被害者であるとする発想です。死者や敗者にすべての責任をなすりつける魔女狩りのような態度が、現在の「歴史認識」の世界的な潮流になっています。しかし思考停止したようなこの態度が、とうてい歴史を直視しているとは思えません。ドラッカーは「経済人の終わり」の中で次のように述べています。

 

しかし、大衆が乗り気でなく、抵抗しているにもかかわらず、政府が反ユダヤ主義を強化し、カトリック攻撃を加速化するなどということはありえない。大衆の意思に反して何かをするという全体主義政権はありえない。何ものにも束縛されない絶対的存在である「総統」でさえ、民主主義国の政府よりも、大衆の鼻息をうかがっている。  P.213

 

船が難破して暗い海に放り出された人びとは、われ先にと漂流物にすがりつくことでしょう。あるいは泳いでいる人間にさえしがみつくかも知れません。市場経済というネットワークに組み込まれた人びとは、社会の中でしか生きる術を知りません。彼は社会を信じていたからこそ、一日中単純労働に耐えることができたのです。その社会が崩壊したとなれば、何を信用していいのかわからなくなります。五体満足の壮年が3年も4年も失業していたら、責めなくてもいい自分を責めるようになるかも知れません。戦前の社会を覆っていたのは、人々のやり場のない暗黒の「絶望」です。不条理に社会との絆を断ち切られた群衆が、われ先にと全体主義の魔術にしがみついていったのです。

 

金融危機や大恐慌などと呼ばれる現象は、この「お金」のシステムが故障したり、修復不能に陥ったりした状況のことを指しています。金融危機は10年ごとに襲ってくると言われています。リーマン・ショックにITバブル、アジア通貨危機に日本の土地バブル、ブラック・マンデーにブラック・サーズデイと金融危機の歴史は数百年前まで遡ることができます。資本主義の歴史は金融危機の歴史でもあります。最近その修復法は進歩してきたと言われていますが、システムそのものの故障は少しも減っていません。このように見てくると、故障の原因は、このシステムそのものに内在する問題だと考えられます。

 

私は40年以上経理の仕事をして、メシの種にしてきました。若い頃は経理がイヤでたまりませんでした。それが一生の仕事になろうとは、本当に皮肉なものです。昔の経理課はシーンと静まり返った室内に、パチパチというソロバンの音だけが響いていました。私はソロバンが苦手だったので、いつも数字が合わなくて悩まされていました。経理の言語は数字です。数字が合わないことには、帳簿を締めることも、決算をすることもできません。恐らく経理の仕事の60%70%ぐらいは、数字合わせに費やされていました。なんというムダな時間でしょう。私は漠然と、経済活動という最も人間臭い行為を、どうして数字という最も融通の利かない言語で表現しなければならないのか、と思っていました。

 

アダム・スミスは「経済人」という概念を作り上げて、経済学を科学にしました。「経済人」とは、功利性のみによって行動する仮想上の人間です。彼は一番儲かる方法をすべて知っている万能人間という想定です。これによって人間の経済活動は数字に置き換えることが可能になりました。天文学や物理学のように、数字を分析することにより、経済の「法則」を導き出すことができるようになりました。経済学では人間は玉突きの玉のように、一度コツンとたたけば、あとは計算どおりに決まったルートを動くと考えられました。

 

もちろんこの考えが誤りであることは、経済学者以外なら誰でも分かっています。なぜこのような単純なミスを犯したのかというと、経済活動の言語に「お金」という数字を使っているためです。経済活動に使う「数字」とは、ただ単に品物の値段を「人間」が市場で、感覚的に数字に「置き換えた」だけです。物理学や天文学のように、物質を厳密に「測定」した数値ではありません。しかし、いったん数値化されると、外形上は、品物の値段も物理学の測定値も区別はつきません。その結果、両者はまったく同じ数字として扱われるようになるのです。

 

数字はすべて「数学」のルールに従って動いています。例え出生の経緯があやしく、人間が恣意的に数値化したものだとしても、いったん数字に置き換えたからには、以後は数学の厳密なルールを適用しなければなりません。数字はたったの10個の文字で出来上がっています。「多いか、少ないか」以外には何の意味もありません。水や空気のように透明で普遍的な言語です。この意味のない言語を読んで、どうにかして意味を知ろうとすると、論理的な分析しか方法はありません。その結果、本来合理的ではない人間の活動を、いったん「経済人」という合理だけで動く人間とみなす必要が出てきます。つまり本末が転倒してしまったのです。ウソをついた少年が、現実をウソに合わせようと四苦八苦しているようなものです。

 

物事を抽象化すると必ずこのような問題が発生します。人びとは、具体的な物事を抽象的なものに「置き換えた」後で、置き換えたことを忘れてしまいます。そして抽象化した「記号」だけが一人歩きを始めます。インド人は数学が得意な民族です。昔から何でも抽象化しなければ気が済まない性癖があるそうです。例えば、仏教には孔雀明王というのがいます。単なる鳥の孔雀が、明王という高い位の仏になって祀られています。彼らが考え出した理屈は以下のとおりです。孔雀はコブラのような毒蛇を平気で食べる。孔雀は解毒作用を持っている。これを抽象化すると、孔雀は悪を消す力を持っている。人間の煩悩を食らって、仏道に成就せしめる功徳がある仏である、という具合になります。

 

孔雀が仏教の仏さまになっても、さしたる支障はないかも知れません。ところが市場経済システムの言語が不適切なものだったとしたら、その副作用もまた計り知れないものがあります。大恐慌を巻き起こし、大戦争の引き金になるかも知れません。もともと人間と数字はまったく異質なものです。似たところは皆無だと言っていいぐらい両者は異なっています。数字は鉄道のレールのように、切れ目なく繋がった「論理の連鎖」で出来上がっています。人間のように、時間や空間を飛び越えて、精神世界をジャンプするような発想が出来ません。どんなに遠回りになっても、数字は一本の線をたどらなければ目的地に到着することができません。

 

東南アジアを旅行したことがある人は、土産物を売っている小さな露店をひやかしたことがあるかも知れません。お店のおばちゃんがハッタリで値段をふっかけてきます。買い手も分かっているので、値切り返します。やりとりを何回か繰り返して、感覚的にこれ位ならいいという所で取引は成立します。いいかげんのように見えますが、株式市場でも為替市場でも原理は同じです。市場価格は人間の感性で決まります。欲望や衝動、恐怖やパニックで、価格は大きく変動します。ところが「お金」のシステムは切れ目のない論理の連鎖で繋がった一本の線です。突然ジャンプしたり、大きく滑落したりすると、電話線が切れたように機能しなくなります。ビジネスの言語である数字が意味を失い、経済は麻痺し、最悪の場合は社会そのものが崩壊します。

 

このように考えてくると、近代の社会システムはその前提条件そのものに問題があるようです。数字を物質世界に適用することで、我々は大きな成果を上げてきました。数学の進歩に歩調を合わせ、物理学や科学技術の発展は現代の豊かな文明社会を築き上げました。しかしそれを精神世界にも適用することは誤りです。人間という精神世界を持った生き物は、数字の単純さには耐えられないのです。資本主義は経済的には大きな成功を収めました。しかし「お金」で組み立てられたデジタルな社会は、コミュニティーとしての社会にはなりえません。均質で透明な数字の世界は、人間の感性とはあまりにかけ離れたものだからです。

 

現代人は哲学には無関心です。経済活動を数字に置き換えることの可否といった本質的な問題については、ほとんど反省しません。そしていったん数値化されると、経済活動は数学の問題に置き換えられてしまいます。お金に高等数学を適用して金融工学などというものまで出現しました。東南アジアの露店のおばちゃんと高等数学が何の関係もないのは、ちょっと常識を働かせれば誰でも分かることです。人類は物事を抽象化することにより、多くの便益を受けてきました。しかし抽象化したという事実を忘れてしまうと、本物と影とを混同してしまいます。カゲを動かせば本物も動くと勘違いしてしまいます。そしてそれが不可能だと分かった時、社会はパニックに陥るのです。

 

私は経理マンとして数字に焦点を当てて現代社会の問題点を考察してみました。しかしドラッカーは、同じことを「言葉」に焦点を当てて考察しています。数字と同じく、言葉が原因で社会が崩壊することがあるのです。「経済人の終わり」の中で、ドラッカーは興味深い記述をしています。少し長くなりますが以下に引用してみます。

 

もし今日の時代を、歴史的な俯瞰において、すなわち歴史の継続性の視点からみるならば、新しい秩序が必ずや出現するであろうことは自信をもっていえる。西洋において歴史の断絶があったのは、今が初めてではない。すでに社会の秩序は、13世紀と16世紀の二度、崩壊している。しかも、そのいずれの時代においても、歴史の継続や新しい秩序の出現は誰の目にも見えていなかった。いずれの場合も、秩序の崩壊は今日と同じように人間観の崩壊に起因していた。13世紀には「宗教人」なる概念の崩壊があり、16世紀には「知性人」なる概念の崩壊があった。それらの概念は、まさにそれが社会の中心に位置づけていた領域において、自由と平等を実現できなかったとき、崩壊した。今日と同じように、それらの人間観を基盤とする社会が同時に崩壊した。しかもそれは、それぞれの社会が完成の域に達したかに思われたときだった。すなわち、中世初期の神聖ローマ帝国であり、清教徒の聖職者社会だった。断絶の時代には、他にも似たことが起こっている。マルクス社会主義と今日の「経済人」の社会との関係は、カルヴァン主義と「知性人」の社会との関係に似ている。いずれも自らの教義を決定版と称した。いずれも、自由と平等は現実の自由を放棄するときにのみ可能だとした。マルクス主義が説く階級対立の歴史的帰結は、カルヴァン主義の予定説と軌を一にする。いずれも、来るべき社会における自由の実現のために、今日の現実の自由を否定した。そしていずれも、自由のない社会しか実現できないことが明らかになったとき、その信条が崩壊した。 P.232

 

旧い秩序が崩壊し、新しい秩序が出現するまでの転換期の時代は、まさに今日のように混沌、恐慌、迫害、全体主義の時代とならざるをえない。あの頃も、終末が到来し、新しい展開はありえないと考えられた。しかし突然、いずこからともなく、新しい秩序が現れ、悪夢は、あたかも元々存在していなかったかのように消えた。ダンテは、ギベリン派が支持する皇帝の死とともに、生きる甲斐のあるものすべてが消えたと考えた。ところが、わずか一世紀後には、彼の蒔いた種がルネッサンスとして花開いた。30年戦争のさ中、魔女狩りと異端尋問の恐怖の渦中にあって、ケプラーが死んだとき、社会には絶望しかなかった。しかし当時すでに、デカルトやイギリスの政治哲学者が、新しい「経済人」の社会と新しい秩序の基礎を築いていた。「経済人」の社会が崩壊したあとに現れる新しい社会もまた、自由と平等を実現しようとすることになる。その未来の秩序において、人間の本性のいかなる領域が社会の中心に位置づけられることになるかはわからない。しかし、それは経済の領域ではない。ところがこのことは、その新しい秩序が経済的な平等を実現できるということを意味する。ヨーロッパの秩序が、キリスト教を基盤とするがゆえに自由と平等を追及せざるをえないとすれば、新しい秩序は、当然のこととして、それが社会の中心に位置づける領域において自由と平等を追及する。そのとき、その領域における自由と平等は、その場で実現されるのではなく、たんに追及されるにすぎない。その実現は、次の新しい領域が社会の中心に位置づけられたとき、はじめて可能となる。このようにして、宗教が社会の基盤でなくなったとき、初めて宗教上の自由と平等が実現された。経済が社会的な認知と満足の基盤となったとき、初めて民主的な自由と平等が可能となった。同じように、経済的な平等は、それが社会にとって最も重要なことではなくなり、新しい領域における自由と平等が新しい秩序のもたらす約束となったとき、初めて可能となる。P.233

 

「宗教人」を目指した社会が崩壊したら、次に「知性人」の社会を目指す。これも駄目だとわかると、人々を「経済人」の社会に駆り立てる。マルクス主義の失敗で「経済人」の社会が崩壊すると、また何かを目指さなければならない。しかも旧い秩序が崩壊し、新しい秩序が出現するまでの転換期の時代には、混沌、恐慌、迫害、全体主義の時代とならざるをえないと言う。とすると現在の世界も過渡期の混乱の時代に相当するのだろうか。やれやれ、人間という動物は、いやヨーロッパ人というキリスト教徒は、つくづく因果なものだと思う。どうしてこんな風に次から次へと自由とか平等とかを目指さなければならないのだろうか。まるで強迫観念に取りつかれた亡者みたいに。人間はもっと「おおらか」な気持ちになれないものだろうか。

 

そもそも「宗教人」も「知性人」も「経済人」も人間が考え出した虚構です。近代社会は虚構で作り上げられた壮大なゲームの世界です。このゲームのネットワークは今や地球上を覆い尽くしています。何億・何十億という人々がこのゲームに参加することにより日々の生活の糧を得ています。目に見えないので全容をつかみにくいですが、この市場経済のネットワークはおそらく万里の長城やピラミッドの何万倍・何十万倍という規模に膨れ上がっています。これは人類が構築した最大の建造物と言うことができます。

 

この市場経済システムは最初に西ヨーロッパに出現し、試行錯誤を経て徐々に今の形になってきました。このネットワークを作り上げるのに人類は数百年の歳月を要しています。ピラミッドを積み上げるように、人間を組み立てるのは容易な作業ではありません。先祖伝来の土地にしがみつく農民を、土地から引きはがし、市場経済システムに組み込まなくてはなりません。力ずくによる強制も必要だったでしょう。時には血を流す暴力も振るわれたかも知れません。近代化の歴史は戦争の歴史でもありました。しかし力による強制だけでは、精密機械のようにオートマチックに動く経済社会を構築することは不可能です。

 

人間は動物であると同時に、精神世界の住人でもあります。「その気」にさえなれば、放っておいても人は勝手に動きます。だから人間を動かすためには、「その気」にさせるのが一番です。「自由で平等」な社会のためだとか、「階級のない」社会を実現するためだとか、「言葉」による標語で人は社会に引き付けられるものです。ところが「自由」も「平等」も言葉による抽象的な概念です。実際の世界にはそんなものは存在しません。ここにも抽象化に伴う落とし穴が潜んでいます。人間は現実の世界を言葉という抽象的な記号に置き換えます。そして置き換えた後で、置き換えたことを忘れてしまいます。そして言葉という記号が、あたかも実体があるもののように一人歩きを始めるのです。

 

人間にとって、精神世界とは言葉の世界です。人は言葉で物を考えます。言葉によって喜び、言葉によって怒り、言葉によって失望します。つまり人は現実の世界とはかかわりなく、抽象的に物を考え、抽象的に笑い、抽象的に悲しむことができます。さんさんと降り注ぐ太陽のもとでも、人は抽象的な世界で絶望することがあるのです。これはアダムとイヴが知恵のリンゴの実を食べたときからの、人類の宿命ともいえます。人は神が支配する本能の世界と決別し、言葉による独自のデータベースを構築しました。人間の幸不幸はすべてここからスタートしているのです。

 

われわれは今さら言葉をなくすことはできません。高度な数学や科学技術を放棄することもできません。電気やガスや、自動車やパソコンや、テレビやウォシュレットの、便利で快適な生活を手放すことは不可能です。しかし心の片隅に、これらの物すべては「虚構」の上に成り立っているのだということを覚えておいて欲しいと思います。本物の世界はどこかに厳然として存在しており、人間を含むすべての宇宙を支配しているのだということを。

 

言葉や文字や数字は、人間が混沌とした宇宙を理解するための道具です。変化してやまない自然を文字や数字に「置き換える」と、自然は紙の上で静止します。時間が止まった自然は、じっくりと観察することが可能になります。やがて科学者は自然を支配する「法則」を発見しました。法則を使えば、自然をコントロールすることもできます。人間は狂喜し、自分は神と肩を並べたとさえ己惚れるようになったのです。

 

人は自分の最も得意な分野で失敗するものです。人類は「抽象化」で大成功を収めました。言葉や文字や数字という道具を駆使し、高度な文明社会を築き上げてきました。しかし道具は使いこなすものであり、道具に使われてはならないのです。ところが今や道具がのさばり、主人のような顔をしています。人びとは言葉の顔色をうかがい、重箱の隅を突っつくように言葉の切れ端に目くじらを立てるようになりました。「侵略」だとか「進出」だとか、「わが軍」という言い方は「平和憲法」に反するとか、実体のない議論に時間を空費して、恬として恥じないのです。これは「抽象化」や「置き換え」の文化の副作用であり、社会の末期症状とも言えます。

 

「経済人」の社会が破綻して久しい。人間を論理の連鎖でつなぐことには限界が見えてきました。ドラッカーに言わせれば、次に人間のどの領域を社会の中心に据えるかはまだ分からないと言います。それまでは混沌とした不安定な時代が続くのです。やれやれ、我々は言葉が多すぎるのではなかろうか。「宗教人」も「知性人」も「経済人」も、紙の上に描いた餅です。それは時間が静止した、「死んだ」世界です。ところが実際の人間は生きており、生命は生々流転して止まない。動的な実際の世界と、静的な社会の信条との間に乖離が生ずるのは当然です。私はそろそろ人類は、抽象化の虚構の世界から抜け出すべきときが来ているのではないかと思います。

 

私はこの言葉の氾濫した混沌の時代から抜け出すために、日本の果たす役割が大きくなる時代が必ず来ると思います。西欧諸国はこの文明の元凶であり、ここから抜け出す発想は持ち合わせていません。BRICsと呼ばれる新興国は、今まさに経済成長に乗り出した段階です。市場経済システムを構築している不安定な状況で、他のことを考える余裕などありません。資本主義以前の段階にある他の国々は論外です。こう考えてくると、日本はユニークな立場にいます。明治維新以来150年で急速に近代化を成し遂げた唯一の非西欧の国です。成熟し安定した近代社会であると同時に、原始の記憶を多分に残している世界の「変わり者」です。

 

日本はユーラシア大陸の東の端に、「吹き溜まり」のように位置する島国です。大陸の戦乱や、飢饉や、気候変動から逃れてきた人々は、この吹き溜まりで行き止まり、そこに留まりました。太平洋の南からはポリネシア系の人々やマレー系の人々や古代インド系の人々がやって来ました。大陸の沿岸や朝鮮半島を伝わって、南中国系やモンゴル系やツングース系の人々がこの列島に移り住んできました。アメリカ合衆国ができるはるか以前に、日本はすでに「人種のるつぼ」と化していたのです。

 

「吹き溜まり」の底には古い落ち葉もそのまま残っています。日本列島には何千年・何万年前の記憶が、古い落ち葉のように残っています。日本人はエスキモーのように、魚を生のままで食べます。火で料理することを覚えるはるか以前の原始人の記憶を、21世紀の現在も大切に守っています。八百万の神々は、ニューギニアの高地人やアフリカの土人と同じく、いまだに日本人の心を捉えています。大陸では戦乱でとっくに焼失した高度な仏教美術が、奈良や京都の古都の寺院に鮮やかに残されています。何百年前に建てられた寺院は今でも「現役」で機能しています。日本人は新しい文化を取り入れながら、古い記憶を残す名人なのです。

 

戦後70年の節目の年に安倍総理がどのような談話を出すのでしょうか。日本人は戦争の責任を一部の指導者のせいにはしません。もし責任があるとすれば、自分たち国民全員になんらかの責任があると考える稀有な民族です。言葉や論理に囚われないで、物事の本質を見抜く感性がこの民族にはまだ残されています。新しい社会の秩序は、口角泡を飛ばす議論の中からは生まれてこないと思います。人びとは禅僧のように言葉を慎み、はるか昔に決別した無意識の世界の記憶をもう一度呼び起こす必要があると思います。来るべき社会がどのようなものになるのか不明ですが、人間に優しい、自然との調和を目指す社会であって欲しいと思います。ドラッカーは18世紀に「経済人」という新しい秩序が誕生する際のいきさつについて以下のように述べています。

 

全体主義の脅威に対抗するための唯一の方策は、われわれ自身の社会に新しい基本的な力を呼び起こすことである。もちろん、そのような力は簡単に呼び起こせるものではない。新しい秩序を簡単に生み出すことのできる方法はない。そのような力が社会に潜んでいることさえいかに知りえないかは、フランス革命時のイギリスをみれば明らかである。フランス革命の直前の時代、イギリスはすでに崩壊同然だった。アメリカという最大の植民地を失ったところだった。社会そのものが、議会や政府と同じように腐敗しきっていた。あらゆる階級が王室を嫌っていた。下層階級は、当時始まったばかりの産業革命に抵抗していた。工業も商業も破産同然だった。これらの腐敗の底にイギリスの力が健全であることを確信していたエドマンド・バーク唯一人を例外として、あらゆる者が革命を望んでいた。これに対して、戦いに勝ちつづけ、フリードリッヒ大王による強力な産業政策をもつプロシアが、最強の国内基盤を誇っていた。ところが、ヨーロッパでは、イギリスだけがもちこたえ、プロシアは紙の家のように崩れた。二十年にわたるナポレオンとの苦しい戦争を戦いつつ、十八世紀を引き継ぐものとしての新しい十九世紀社会を発展させたのはイギリスだった。その結果イギリスは、その後100年にわたって、世界一の大国の座を占め、全世界の範となり、思いもかけぬ経済発展と領土拡大を手にした。たしかに、イギリスが対抗しえず、社会的、精神的に崩壊していたとしても、やがてはナポレオンの帝国は分裂していたであろう。しかし、もしイギリスに民主主義という新しい力の伸長がなかったならば、ナポレオンの失墜やその死後においてさえ、ヨーロッパは彼の麾下の将軍たちの恰好の蹴鞠とされ、二十年あるいは三十年は、戦闘、貧困、窮乏、迫害の舞台とされていたに違いない。  P.258

 

2015/05/05

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