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トランプ氏と嘘

トランプ氏はアメリカン・ドリームが今でも健在であることを証明してみせた。一昨年の米大統領選挙に不思議な髪型をした一人の老人が立候補した時、それは単なる余興だと思われていた。まさか彼が本当に大統領になるとは誰も信じていなかった。大統領どころか共和党の代表になることさえ難しいと思われていた。なにしろ彼は政治経験が皆無だったのだから。それがあれよあれよと勝ち進み、今や正真正銘の米国第45代大統領となったのである。事実は小説より奇なりである。何がどうなっているのか、いまだによく理解できない人も多いのではなかろうか。民主主義の盲点だと言う人もいるし、時代が大きく変わる前兆だと指摘する識者もいる。なるほど、そういう見方もあるのかも知れない。ただハッキリと言えることは、一年前には「未来のことは誰にも分からなかった」という当たり前の事実である。

 

この一年あまりというもの、カラスが鳴かない日はあっても、マスコミにトランプ氏の姿を見かけない日はなかった。おかげで我々は、事の善し悪しは別として、ずいぶんとこの政治ショーを楽しませてもらった。彼の特徴はなんと言っても、その歯に衣着せぬ言動であろう。顔を真っ赤にして、口をとんがらせてまくしたてる七十歳の老人は、子供っぽい愛嬌さえ感じさせた。彼は言葉ひとつで大統領になったと言っても過言ではない。政治家にとって言葉は武器であり、選挙では時として過激な発言をする者も珍しくはない。しかし彼の言葉は従来の常識をはるかに超えた赤裸々なものだった。酔っ払いが仲間内で吐くような暴言を公然とまくしたてた。これに眉をひそめ嫌悪感を覚える人びとがいる一方で、密かに喝采を叫ぶ人びとも少なからずいたのである。

 

21世紀の西側の成熟した先進社会で、このような時代錯誤ともとれる演説が人びとの心を捉えたということは衝撃的である。トランプ氏の荒唐無稽な演説を聞いて、80年前のミュンヘンでチャップリン髭を生やした独裁者に喝采を送る群衆の姿と重ね合わせたのは私一人だけではないはずだ。時代は流れても、実は我々の社会の根底は案外と変わっていないのかも知れない。格差や貧困、失業や低賃金労働は古くて新しい問題である。社会から理不尽な仕打ちを受け絶望した人びとは、もはや事実には耳を傾けなくなる。社会の現実には希望が持てないからである。そして人びとは嘘にしがみつくようになる。荒唐無稽な話だと分かっているからこそ、かなわぬ奇跡を信ずるのである。絶望に打ちひしがれた人びとは、八方ふさがりの現実を打破してくれるのはもはや魔法使いしかいないことを知っている。

 

「トランプ氏は嘘つきだ!」とメディアは攻撃する。的外れな批判である。言葉は単なる道具である。道具に嘘も真実もない。存在するのは人間だけである。アマゾンの無人のジャングルで大木が倒れる。音は発生したか否か。答えは否である。それを耳で聞いて、頭で認識する人間がいて初めて音は存在する。無人のジャングルに音は存在しない。同じく、選挙において嘘か真実かを決めるのは有権者である。クリントン氏のように、自分にとっての真実を得々と並べても、落選すれば元も子もない。荒唐無稽な魔術を渇望して止まない、病んだ大衆が一方に存在する限り、トランプ氏は選挙戦術として、彼らにとっての真実を語ってみせたのだ。理不尽に社会との絆を断ち切られ、絶望のどん底にあえぐ失業者や低賃金労働者にとっては、「嘘だからこそ真実」ということがある。

 

2017/03/30

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