« 2011年7月 | トップページ | 2012年1月 »

2011年10月

エコノミック・アニマル

やわらかい秋の日差しがふりそそぐ窓辺で、ぶんぶんという羽音が聞こえてくる。一匹の昆虫が窓ガラスの内側に閉じ込められているのだ。ちょっと迂回すれば開け放たれた窓から外へ出られるのだが、そこまでは知恵が回らないらしい。透明なガラスを通してすぐそこに、クスノキやシイの繁みが見えている。どうにかしてそっちの方に行こうとするのだが、そのたびに目に見えない障害物に行く手をはばまれる。彼は自分の身になにが起こっているのかさっぱり理解できずに、完全にパニックに陥っているみたいだ。まるで糸の切れた凧みたいに、同じところをくるくると旋回している。

昆虫だけでなく鳥もガラスの存在が理解できないようだ。私は以前にスイスの製薬会社に勤めていたことがある。その会社が筑波に研究所を作ることになり、日本を代表する著名な建築家に設計を依頼した。彼のデザインした建物はコンクリートとガラスで出来上がっていた。特に研究棟と研究棟を二階部分でつなぐ渡り廊下は全面ガラス張りで、そこを通るとまるで空中を歩いているようだった。

このモダンなデザインの建造物も鳥たちにとっては脅威であった。「視覚」だけを頼りに飛行する彼らは、透明なガラスの存在に気がつかない。猛スピードでガラスに激突して死ぬ鳥たちが後を絶たなかった。私は週明けの研究所を巡回していて、よく渡り廊下の下に鳥の死骸を見つけた。ガラスの表面には衝突の跡が生々しく残っていた。人間にとっては便利で美しいガラスも、鳥にとっては危険なトリックでしかなかったのだ。

「なぜ鳥はガラスが識別できないのだろう?」という問いは、人間の側の一方的な発想である。鳥に言わせれば、「べらぼうめ、ガラスの壁なんざぁ想定外だ!」と答えるかも知れない。だって鳥が空を飛ぶ能力を身につけるまでには、気の遠くなるような長い時間が必要だったのだ。全身を羽毛でおおい、体重を減らし、翼を生やして、それを強い筋肉で支え、そして最後に望遠鏡のように高性能な視覚を手に入れた。何万年・何十万年という鳥類の進化の記録は、化石の中でしか確認できない太古の昔の出来事だったのだ。

この鳥類の長い歴史にくらべれば、人間がガラス張りの建造物を発明したのはごく最近のことである。だから太古の鳥の進化の過程では、まだガラス張りの建物は存在していなかったのだ。空中を飛行するのにガラスを識別する必要はなかったし、当然その方法もわからないのだ。当時の地球上はうっそうとした森林におおわれていた。必要なのは、自らの生活の場である森の中を自由に飛翔する能力だった。彼らは驚くほど高性能な視力を持つことにより、複雑にからみ合った森の繁みを矢のようなスピードで通りぬける術を身につけた。

鳥たちはこれから先も、何度も何度も、ガラスに衝突し続けることだろう。被害者が続出していよいよ無視できない状況に陥ったとき、なんらかのキッカケで(突然変異で)ガラスというものを識別できる鳥が現れるかもしれない。あるいは、コウモリのように超音波を発信する能力を身につけた鳥が現れるのかもしれない。いずれにしても、それまでには、さらに何万年・何十万年という長い「進化」の時間が必要になるだろう。そもそも「生き物」とは、そんなに器用にモデルチェンジができるようにはできていないのだ。

私は子どものころ、よく空を飛ぶ飛行機をあきもせずに眺めたものだ。重たい金属の塊がなぜ空中に浮かぶことができるのか不思議でならなかった。いくら本を読んで、翼の形状やエンジンの構造をしらべても本当には納得できなかった。後からわかったことだが、私が理解できなかったのは飛行機の方ではなく、空気の方だったのである。透明で目に見えない空気もまた重さを持ったひとつの物体であるという事実が、当時の私には理解できなかった。船が水に浮くように、飛行機が空中に浮いてもなんら不思議はなかったのだ。

今でもジャンボジェットに乗るたびに、人間というのは途方もない能力を持った動物だとつくづく感心してしまう。何百人もの人間をのせて空中をらくらくと飛ぶ乗り物が、私には信じられない。あんなものを考えて、それを実際に作り出す人たちとはどんな頭脳の持ち主なのだろうか。私は紙ヒコーキさえうまく飛ばせないというのに。同じ21世紀に生きる人間のひとりとして、私は科学の知識から取り残された自分をさびしく思う。しかしジャンボジェットに乗ることにより、だれでも最先端の科学技術の恩恵に浴することができる。そして時代の最先端に触れている自分を、ちょっぴり誇りに思う。

ただひとつ忘れてはならないことは、当たり前のことであるが、人間は科学技術で飛行機を作るが、鳥は身体そのものを作り変えて、自分自身が飛行機になってしまうということである。いや、鳥だけではない。人間以外のあらゆる生き物は、自分自身の身体を変形させて環境に適応させてきたのだ。魚は冷たい水の中で流線型の身体でなめらかに泳ぎ、エラで呼吸する術を身につけた。牛や馬は草だけを食べて、あれだけ頑健な身体を維持できる。モグラはなんと、地中に高速でトンネルを掘ってミミズを食べて生活している。人間だけが嬰児そのままの体型でこの世に生まれ、羽根もヒレも牙も生やすことなく、無防備な裸のままで生き残ってきたのである。

犬も猫も、牛や馬も、キツネもタヌキも、全身が毛皮でおおわれている。冷たい風の吹く冬の夜でも、しとしとと降りつづく雨の夜でも、彼らは大地をまくらにじっと朝がくるのを待ち続けるのだ。ペンギンもオットセイも南極の氷の上で、ブリザードにこごえながら、雪をかぶって夜を過ごすのだ。動物も鳥も、魚もイルカも、カエルもヘビも、生きとし生けるものにとっては、それが当たり前の暮らし方なのだ。そもそも生き物とは、そのように作られているのだ。

人間だって動物の一種である。ほんのつい最近までは人間の暮らしだって、他の動物たちとそんなにかけ離れたものではなかった。冬は寒さにこごえていたし、雨が降ればびしょ濡れになり、夏の暑さにはひたいから汗を流した。何千年も、何万年もむかしから、人類はそのように暮らしてきたし、身体の構造もそのように出来上がっていた。最近のエアコン完備の都会生活で季節感を失い、いちばん面食らっているのはわれわれ自身の肉体ではなかろうか。

私は少年時代を、終戦直後の伊豆の小さな漁村で過ごした。当時の村の暮らしぶりは、400年前に先祖がはじめて伊豆に到来した頃とそんなに変らないものだったと思う。山がいきなり海に陥没したような狭い地形に、60戸の家が肩をよせ合って暮らしていた。半農半漁の自給自足で、なにをするにも人力だけが頼りの、古代人と変わらない生活だった。人間も動物も、鳥も魚も、自然と一体となって、季節の息吹の中で暮らしていた。

私は小学校一年生から4キロの山道を越えて、となり村の小学校へ通った。この通学路は、道などと呼べるしろものではなく、大小さまざまな岩や石ころが露出した河原のようなものだった。私は中学校を卒業するまでの9年間、この山道を通ったのだが、おかげで何百・何千という道ばたの石ころの形がすべて頭の中にインプットされていた。急な坂道でつまずかないように、下を向いて石ころを見つめながら歩いたからである。現在の東京では歩道や地下道はどこまでも平らに舗装されていて、目をつぶっていても歩けそうである。実際に、携帯を操作しながら歩いている人や、本を読みながら歩いている人たちを見かける。伊豆の山道では信じられない光景である。

村には一つの共同浴場があり、温泉がわいていた。一日の仕事が終わると、村の人はみな同じ風呂に入る。文字どおりの裸の付き合いである。浴場の中で人びとは、今日一日の漁のことや、農作物の出来ぐあいのことや、みかんをヒヨドリにやられたことなどを、にぎやかに話している。少年の日の私は、赤銅色に日やけした漁師の笑顔や、盛り上がった背中の筋肉をあきもせずに眺めていたものである。私は村びと全員の名前や顔だけでなく、裸の体型やキンタマの形まですべて記憶していた。現在の東京で、他人の睾丸をじっくり観察する機会はめったにないと思う(たぶん)。

村の沿岸には定置網が仕掛けられていて、一日三回網を引き上げに行った。夏の朝は早く、うす暗いうちから漁に行く。私が日の出とともに目覚めるころには、もう父は漁から帰ってきていた。だから私は毎朝、その日に獲れたアジのタタキを食べて学校に行っていた。昼の弁当も魚のひものだったし、夜も毎日さかなを食べた。別に食べ飽きるということもなかった。野菜や雑穀は急な斜面の段々畑で作ったし、魚と交換に親類からのもらいものもあった。要するに店から買うものはほとんどなく、およそお金のかからない生活だった。現在の都会の暮らしは昔とは比較にならないほど便利になったが、何をするにもお金のかかる時代になった。

こんなことを書くとなんだか遠い昔の出来事のようだが、これはほんの数十年前の、しかも東京からそんなに遠くない地方での生活である。当時は日本中の人々の大半が、自分の食べるものを自分で作っていた。衣食住に途方もない時間とエネルギーをそそぎ込んでいた。人生とは食べることだったし、食べていくだけで精一杯だった。ところが現在は、なんと生活が容易になったことか。蛇口をひねればいつでも水がでるし、くさい便所が快適な水洗トイレに変り、ガスで料理をし、スイッチひとつで洗濯や風呂が沸かせるようになった。現代人にとって、衣食住はもはや人生のすべてではなくなった。

弘法大師・空海のような稀有の天才をもってしても、この世に極楽浄土が現出したような、現在の文明社会の暮らしを想像さえできなかっただろう。鳥やイルカやオットセイは数万年・数十万年かけてゆっくりと自分自身を改造し、ようやく空を飛び、海にもぐり、寒さに耐えられるようになった。しかし人間は、自分自身の身体には指一本触れることなく、近代的な文明社会を作り上げた。人間が他の生き物と決定的に違うのは、「知識」の力を応用して外部の環境そのものを作り変えてしまうことである。そして知識の力は、それを社会で共有することにより、加速度的にスピードを増す性質がある。

ここにひとつの問題が発生する。それは人間も「生き物」だということである。動物とは、何万年も、何十万年も時間をかけなければ自分自身を変えることはできない。ところが科学技術の力で、人間を取り巻く都市環境は急速に変化する。しかし人間の肉体は(精神も含めて)そのスピードに追いついていけない。無理に変えようとすると拒絶反応(アレルギー)をおこす。何千年・何万年と木の実や魚介類を食べ続けてきた日本人が、急に洋風の食事に変えると乳製品アレルギーになるのと同じである。アレルギー反応はなにも肉体だけに限ったものではない。急速な社会環境の変化は、それに対応できない人びとの心を不安定にする。文明社会はストレス社会でもある。皮肉なことに人間は、自分が作り上げた文明社会からストレスを受けるようになったのである。

今の世の中は、お金を出せばなんでも買える。逆に言えば、何をするにもお金のかかる社会である。市場経済社会の言語は、お金という名前の数字である。この社会の成員は、すべての経済活動の「効率」を数字で測定される。すなわち、誰でも「入金>出金」という不等式を満たさなければならない。個人でも、企業でも、政府でも、入金以上の出金を続けることはできないし、投入した資金以上の見返り(リターン)のないビジネスを続けることもできない。この不等式は、お金は増え続けなければならないことを意味している。資本主義社会は「成長」しつづけなければならない。

経済成長の結果、人類は現在の豊かな物質文明を築き上げてきた。しかし、成長はこれから先も永遠に続けなければならないと言う。成長が不十分だと失業者がでて、社会不安が広がる。少子高齢化で人口が減ると経済成長が止まり、現在の社会保障制度が維持できなくなる。だから移民を受け入れて、これから先も成長し続けなければならないと言う。本当だろうか。ここまでくると素人目にも、このシステムはなんだか変だなと思う。人間の数だけが増え続けるなんてことは、自然界では許されないし、とても不自然なことだ。なぜこれほどまでに量的な拡大を目指さなければならないのか。それは多分、数字とは、「多いか、少ないか」以外にはなんの意味も持たない言葉だからである。数字は人間の幸不幸を、定量的にしか測定できない道具なのである。

数字とは、たったひとつの答えしか持たない言語である。だから「計算」ができる。「計算できる」ということは、「予測」ができるということである。空間的にも、時間的にも、1ミリの狂いも、1秒の狂いもなく、論理を組み立てることが可能になる。天体の動きを観測し数値化すれば、次の皆既日食の日時や場所まで正確に「予測」することができる。重量や強度を計算すれば、高層ビルや巨大な橋を建設することも可能になる。

科学は物理学から始まった。物理学の言語は「数学」である。数学のめざましい進歩が、現代の科学技術の発展をささえている。現在の文明社会は数字の発見と、それを技術に応用することにより築き上げられてきた。科学技術の成功は、人間に大きな自信とバラ色の未来を約束した。科学万能の世の中が到来したのである。そして人間はついに、自分たちの住むこの社会そのものを「科学的に」組み立てようと考えた。人間の経済活動にも、合理的な法則があるはずだと考えた。そして経済学が誕生した。

しかし、ちょっと考えてみればわかることだが、経済学は根本的な矛盾の上に成り立っている学問である。物質世界で成功したからといって、「科学」を人間世界に適用することは間違いである。なぜなら、人間とは「心」を持った生き物で、精神世界の住人だからである。人間と科学とは、水と油のように馴染まない性質のものである。人間は決して合理的には動かないし、いくら数字を分析しても人間の経済活動をコントロールすることはできない。数字は結果であり、実体を写す影のようなものである。実体のないカゲのようなお金をいくら操作しても、生き物である人間の経済活動を変えることはできない。政府に景気をコントロールすることなどできないし、経済政策や失業対策を期待することも見当ちがいである。

20世紀が生んだ最大の哲人の一人であるピーター・ドラッカーは次のように述べている。

「ある国のある景気後退期に機能した政策が、同じ国の他の景気後退期に実施されても成果はあげえない。このことは、短期的に景気を刺激するための政策には効果がないということを示しているだけではない。景気と刺激策とのあいだには、何の関係もないということを示している。すでに証拠が明確に示しているように、政府は経済の天気をコントロールすることはできない」

数字は腐らない。実体のない紙の上の記号であるから当然である。実際の製品や商品は時の経過とともに、あるいは腐敗し、あるいは陳腐化して、その価値が減少していく。しかしバランスシートの貸し方に計上された「利益」は腐ることがない。1020年と積み上がった利益は、やがて実体経済の何倍にも達するようになる。この膨大な計算上の過去の遺産は、金融システムを通して自らも「成長」することを求めてくる。しかし実体経済の何倍にも膨らんだ巨大なカゲは、もともと虚構である。この虚構の数字をさらに膨らまそうとすれば、それは虚業によるしかない。これらの金融資産は株式投資や、不動産投資や、商品投資というゼロサムゲームに向かうしかない。バブルは弾けるものと相場が決まっている。投機ゲームはいずれ実需の価格に合わせるようにして収束する。よくマスコミで、金融危機で相場が暴落し国民の資産が何百兆円失われたなどと言うが、それは正しくない。失われたものは、数字という現代社会の言語が作り出した幻想にすぎない。夢はいずれ覚めるものである。実体のない虚構の資産は、健全な市場の調整機能の働きで、本来の実体経済に戻るのである。こうして、このシステムの下では周期的に「金融危機」が襲ってくるのである。

ドラッカーは、さらに次のように指摘している。

「エコノミストたちが40年前に自信満々に約束したところに反して、景気循環はいまも生きている。景気は、過去150年間とまったく同じように、いまだに循環している。これまで、いかなる国もそれから逃れることはできないでいる」

「政府による景気刺激策は、景気の循環的な回復過程と偶然に一致したときにのみ成果をあげる。しかし、そのような偶然は稀である。そして、そのような偶然の一致をもたらしてくれるような政策というものは存在しない」

新幹線を走らせ、ジャンボジェットを飛ばし、月に人間を運ぶことができる人間が、こと政治や経済に関しては、どうしてこうも無能に見えるのであろうか。網の目のように密生したこずえを風のようにすり抜ける鳥も、ガラス窓に激突して死んでしまう。ツボにはまれば高い能力を発揮できるが、識別できないものに対してはまるきり無能力である。鳥も人間も状況は同じである。われわれは何か識別できないバリアーの存在に気づかずに、ただやみくもに同じ過ちを繰り返してはいないだろうか。ガラス窓でくるくると旋回している昆虫は、偶然にガラスと反対側に飛んだとき初めて、開け放たれた出口を見いだすことができる。われわれもなにかのキッカケで、現在のシステムから距離を置いたとき、初めて見えてくるものがあるのではないだろうか。財政が破綻し、政治がマヒして、社会が解体寸前となったとき、地獄のような混沌と、理不尽な暴力や底知れない絶望の淵から、初めてかすかな希望の光を見いだすことができるのかも知れない。

人類は言葉を話し、文字をつくり、数字を発見して、高度な文明を築いてきた。言葉は便利なものである。言葉のおかげで、人間と人間のコミュニケーションが広がり、社会を形成することが可能になった。言葉とは抽象化された記号である。りんごは一つひとつ、その形状も色合いも味も異なる。しかし「りんご」という言葉は一つである。ものごとは抽象化することにより初めて普遍化する。水や空気のように、無色・無臭になって初めて普遍的な存在たり得る。だから言葉にはもともと実体などはない。しかし言葉はいったん出来上がると、あたかも実体そのもののように独り歩きを始める。人は言葉を操ることにより、虚実織り交ぜて、さまざまな「はなし」を作り上げる。ひとは言葉によって理解し(理解したつもりになり)、喜び、悲しみ、人を憎むようになる。もともと実体を写すカゲだった言葉が、人びとの心を支配し、行動をコントロールして、ついには実体そのものを動かすようになる。しかし言葉の中にどっぷりとつかった人間は、ガラスの存在に気づかない昆虫のように、決してこのことに気づかないのである。

現在の市場経済社会のことばは「お金」という名前の「数字」である。この言葉を採用した現代社会は、そこに住む人びとに究極の合理性を求める。人間にとって、これ以上ストレスのかかる言語はないであろう。なぜなら人間とは、喜怒哀楽の感情を持ち、美しいものに価値を見いだし、人との触れ合いなしでは生きられない生き物である。精神世界という根っこで宇宙とつながった、高度に洗練された有機体である。合理性などというものは、その世界のほんの一部を占めているにすぎない。あるいは人類は今後、何万年も、何十万年も時間をかければ、合理性だけで平然と行動できるエコノミック・アニマルを作ることが可能かもしれない。しかしそのような生き物はもはや「人間」とは呼べないものである。

2011/10/14

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年7月 | トップページ | 2012年1月 »