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「震災に思うこと」

311日の震災の日に、私は都心のビルの6階にいた。週末の午後のオフィスはあわただしいながらも明るい気分が漂っていた。そこにぐらりと最初の揺れがきた。とてもゆったりとしていたので、みんな小さな地震だと思った。まるで週末のイベントでも楽しむかのようなゆとりさえあった。しかし次に来た揺れは、ゆっくりではあったが、はるかに大きくて力強い振動だった。

棚から書類がバタバタと落ちてくると、皆の顔からお祭り気分が消えた。大きな揺れは、何度も何度も、断続的に襲ってきた。もはや疑いようがない。足もとから伝わってくるエネルギーは尋常ではなく、建物の強度さえ心配になるほどのレベルに達していた。歴史的な惨事が起きようとしているのかもしれない、という不安が脳裏をかすめた。

マグニチュード9という巨大地震が、東北から関東にかけての長大な海底で発生したことをテレビが告げていた。三陸の沿岸に大きな津波が次々に押しよせた。黒い激流に押し流される家屋や車の生々しい映像が、テレビ画面から放映された。繰り返し、繰り返し、大惨禍が世界中に向けて発信されていた。

生命の元でもある、あのやわらかい水の流れが、こんなにも暴力的なパワーを秘めていたことが信じられなかった。大きな船も建物も、鉄柱も列車も、大木や岩も、押し流され、町全体がめちゃめちゃに破壊しつくされた。人々はもはやなすすべもなかった。命からがら高台に避難した人びとは、眼下で繰り広げられる地獄絵に呆然と立ちつくした。

「どうかこれが夢でありますように」と、ある避難所の女性は毎朝目が覚めるたびに祈るそうである。彼女の気持ちがわかるような気がする。だってこれは夢まぼろしとしか考えられないではないか。つい昨日までは、のどかな時間がゆっくりと流れていた美しい風景が、ある日突然に、理不尽で残酷な魔物に変身しようとは。この世の常識ではとうてい推し量れない異常な世界がどこかに厳然として存在しており、それがある日突然、次元の空間を突き破ってこの世に現出してきたのである。

「想定外だった」と、ひとびとは口をそろえて言う。当たり前である。誰がこのような悪魔が考えるような惨状を、夢想だにできたであろうか。むしろ私が驚いたのは、この世のあらゆる物は、「想定」しなければ作れないというルールの方である。原子力発電所も防潮堤も、コンクリートの建物も橋も、道路も鉄道レールも、誰かが「想定」し「計算」して作り上げたものなのである。

数字はたったひとつの答えしか持たない。だから「計算」ができる。「計算」ができるということは、「予測」ができるということである。空間的にも、時間的にも、1ミリの狂いも、1秒の狂いもなく、論理を組み立てることが可能になる。天体の動きを観測し数値化すれば、次の皆既日食の日時や場所まで正確に「予測」することができる。重量や強度を計算すれば、高層ビルや長い橋を建設することも可能になる。

科学技術とは、ツボにはまれば、途方もない威力を発揮する。反面で、計算できない物事にはまるっきり無力である。月へ人間を運ぶことは可能だが、明日の女房の機嫌の善し悪しさえわからない。原子力発電所は作れるが、地震の予測は計算できない。だからまばゆいばかりの科学技術の成功に目がくらみ、「想定」できない異次元の災厄にまでそれを適用してはならないのだ。

原子力発電所が津波の被害をうけてコントロール不能におちいっている。放射能が漏れ出して、付近の住民に非難命令が出された。不便な避難所生活を強いられた住民の方々には本当にお気の毒だと思う。どうしてこんな事故が起きてしまったのだろう。それは考えてみれば、バカバカしいほど簡単な理屈である。ひとつには「想定」で原発を建設したことであり、もうひとつは「想定」をはるかに超えた巨大な津波に襲われたことである。

「想定」で建物や橋や防波堤を作るのと、「想定」で原子力発電所を作るのとはまったく異質な問題である。それは、もし「想定」が外れた場合にもたらされる災厄の性質がまるきり異なるからだ。流された建物や橋や防波堤を復旧するのも大変な負担だが、原発の事故がもたらす災厄は復旧のメドさえ立たない悲惨な結果になる可能性があるのだ。

原子力発電所の建設は科学技術の力で「想定」どおりに作ることができる。しかし将来の自然災害のことは誰にも予測できない。それは人間の能力を超えた、異次元の世界に属することである。だから危険なものを「想定」で作ってはいけないのだ。ことに原発のように、もし破壊されたら魔物に変身するような危険な建造物は、人間が安易に「想定」してはいけないのだ。

数字は論理の連鎖でつながったものである。それは鉄道レールや電話線のように、切れ目がない一本の線である。鉄道レールや電話線は敷設するのには多大の労力や時間を要するが、一度できあがってしまえば極めて便利なものである。しかしたった一箇所の切れ目があっても、電車は通れなくなるし、電話は不通となる。

震災の被害を受け、東北地方の多くの工場が操業を停止した。自動車や電子機器の部品の生産がストップして、アジアや欧米の経済活動に少なからぬ影響を与えている。何百・何千という部品を世界中から調達し、それを流れ作業で組み立てて複雑な完成品を作るという現在の生産システムに支障がでている。それはたった一箇所をネズミがかじっただけで電話が不通になるのと同じ理屈である。

流れ作業で仕事をするのは、なにも自動車や家電製品の生産に限ったことではない。企業でも政府でも、病院でも学校でも、われわれの社会では仕事をパーツに分解し、専門化し、組織化して、工場みたいに流れ作業で行っている。それが正しいことなのか、本当に効率がいいのか、誰も確かめた者はいない。しかし仕事は昔からそのように行ってきた。

企業は経済活動を受け持ち、病院は病気の治療に専念し、子どもは学校に集められ、老人は施設に預けられる。病院が外科・内科・小児科・婦人科・泌尿器科などの専門別に分類されているように、企業の組織も人事部・経理部・営業部・生産部などに分かれている。そしてそれぞれの部門の中で仕事はさらに細分化され、個人単位ではそのほんの一部のパーツを担当し、そのほんの一部の分野だけの「専門家」になる。

原子力発電所を建設することと、それを運営して採算にのせることと、将来の災害を「想定」する仕事は組織の中でバラバラに分解され、東京電力や行政府の別々の組織が関与している。もしこれらのパーツを総合し、統合し、コントロールする機能が十分に機能しなければ、想像するだに恐ろしい結末を招くことは容易に察しがつく。

外国の報道陣が被災地の現場を取材し、日本人の一般の市井の人びとがこの混乱の中で冷静に行動していることを驚きの目で賞賛していた。それに較べると組織の上に位置する人びと、東電の経営陣や、政府や役所の責任者はどうしてこうも無能なのかということを本国に伝える記事があった。たしかにそういう面も多少はあるのかもしれないが、私は仕事のやり方や組織のしくみがそのようにできているのではないかと思う。一人ひとりの人間は優秀でも、組織全体では律儀で愚鈍なマニュアル人間を作るような流れ作業システムに一因があるような気がする。

人は自分の最も得意の分野で失敗するものであるという。現在の社会システムや私たちの物の考え方も、正常に機能しているときにはなんの疑問も感じなかった。しかし震災でそれを失ったがために、初めて見えてきた部分もあるのではないだろうか。私たちはこの震災を契機に、「どうしたら人間は幸せになれるのだろうか」と、星の王子さまのような純粋な心で、もう一度問い直してみる必要があるのかもしれない。

正常時には機能して当たり前だったライフラインが、寸断されてはじめて、そこに働く人びとの素顔にもスポットライトが当てられた。黙々と道路の復旧に取り組む人々、寸断された上水道の被害状況を調べて瓦礫の中を歩く人びと、暗闇の避難生活に灯りを点して感謝される電気工事のひとびと・・・。われわれの豊かな生活とは、それを支える多くの人びとの労働の上に成り立っていたのだ。

世界中から援助の手が差し伸べられ、驚くほど多額の義捐金が寄せられた。孫正義氏は一人で100億円を拠出した。小さな島国で、親日で有名な台湾が、米国をしのぐ金額を集めた。アジアやアフリカの最貧国でさえも寄付の申し出があった。メジャー・リーグやサッカーの試合前には日本の被災者に黙祷がささげられた。世界が急に身近になり、ひとびとの温もりを感じた。

10万単位の自衛隊が救援活動に出動した。米軍も三陸沖に航空母艦を派遣し、遺体の捜索や瓦礫の撤去に協力してくれた。平常時にはうさんくさい集団にしか思えなかった軍隊が、災害時には最もたのもしい存在に変身していた。多くの名もないボランティアの人々が被災地を訪れて、さまざまな活動を提供した。こんなにもたくさんの人びとの善意をありがたく感じたことはなかった。

困ったときの暖かい励ましはとてもありがたい。しかしこの人間の温もりが災害のときだけというのもさみしい気がする。災害から復興し、また日常の生活にもどることが、数字に追いまくられる非人間的な時間に変わることを意味するのなら、本末転倒というべきかもしれない。この不幸な震災を機に、現在の社会システムを根本からじっくりと考え直すキッカケになってくれたら素晴らしいことだと思う。

2011/5/5

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