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1Q84 (No.4) 空気さなぎを作る人々

「時間をいったん分割して細かいフラグメントにし、それを組み立てなおし、有効な音列に変えていくことに、彼は自然な喜びを感じた。すべての音が図式となって、頭の中に視覚的に浮かんだ」

中世の終わりからルネッサンス期にかけての西ヨーロッパ人は、物事を視覚化し、数量化することに目覚めました。例えば従来の観念では、時間というものは、連続して流れるものだと考えられていました。従って、当時の時計は、連続して流れる砂や水の時間を測定するタイプのものでした。しかし、やがて時間を均質な瞬間の連続と考えるようになりました。点の集まった線だと考えたのです。その結果、歯車でコツコツと一定の時を刻む機械時計が発明されました。

同じく音楽とは、連続して流れる音だと考えられていました。ところが、中世の終わりの人々は、これも均質な点の集まった線だと考えたのです。その結果、音楽を数値化し視覚化して、正確な楽譜を作ることが可能になりました。即ち、音楽を数量化してグラフにしたのです。このグラフの横軸は音の長さで、縦軸は音の高低です。

紙の上に書かれた音は時間が静止しました。音は時間とともに消えないで、一枚の紙の上に全容を留めています。前後の音を逆行させたり、メロディーとリズムを分割したり、結合したり、多重音声も可能になりました。視覚化することにより、複雑な作曲も可能となったのです。音楽は聴くものから、見るものに変わりました。ベートーベンが完全に耳が聞こえなくなった後でも、作曲活動を続けられたのもこのためです。

「平均律クラヴィーア曲集は数学者にとって、まさに天上の音楽である。十二音階すべてを均等に使って、長調と短調でそれぞれに前奏曲とフーガが作られている。全部で24曲、第一巻と第二巻をあわせて48曲、完全なサイクルがそこに形成される」

昔は、お金も連続して流れるものと考えられていました。流れ去ったお金の出入りを、正確に記憶している者は誰もいませんでした。しかし、中世の終わりの西ヨーロッパ社会で、複式簿記が発明され、お金の流れは紙の上に記録されるようになりました。

時間が静止したお金の流れは、後でゆっくりと分析することが可能になりました。過去の数字と現在を比較したり、儲けや損失の原因を調べたり、差額や比率を出して資金効率を改善することも可能になりました。数量化し、視覚化することにより、商売はより確実で、制御可能な、効率のよいものに変わりました。

時間や音楽やお金の流れだけでなく、長さも、重さも、強さも、速さも、あらゆる事物を均質な単位に還元し、その数を測定しました。数字に表すことにより、自然現象は紙の上に視覚化されました。時間を止め、じっくりと分析を加えることができるようになりました。その結果事物を支配する法則を発見し、コントロールが可能となったのです。

西欧人は数字という客観的な計測器具を手にして、神秘な宇宙の謎を解き明かしてきました。この実証的な態度はやがて科学技術の進歩をもたらし、巨大な橋も、高層ビルも、月に人間を運ぶことさえ可能になりました。「全体は部分の総計」というデカルト的な因果律の世界観からスタートした科学的方法は、めざましい技術の発達と現代の豊かな物質文明をもたらしました。

「よく見ると、空気の中にはいろんな糸が浮かんでいた。見ようとすれば、それは見える」

思想とは不思議なものです。この世界をどのように考えるかにより、現実の世の中も変わってくるのです。目に見えない異次元の空気の中から、アイディアを紡ぎだして形にする。それは見ようとした者だけに見える。現代の高度に発達した文明社会は、「数字」の持つ可能性に狂喜した一群の人々からスタートしました。小さな種子が、数百年かけて科学技術という大木に成長したのです。

人間が作ったものには、すべて思想が宿っています。電車のつり革は、なんであんな形をしているんだろう。韓国の電車も、ロンドンの地下鉄もまったく違う形をしているのに。それはそれぞれの形の影に、異なった人間の異なった思考が存在しているからです。それはそれぞれの人々にとって大切な「空気さなぎ」なのです。

「これは俺がスケッチに描き、文章にした空気さなぎそのままだ、と天吾は思った。空に浮かんだ二つの月の場合と同じだ。彼が文章にしたかたちが、なぜか細部までそのまま現実のものとなっている。原因と結果が錯綜している」

小林秀雄は、人間は物を考えるとき、知らず知らずにその時代に支配的な前提条件(ドグマ)に縛られているものだ、と言っています。そしてどっぷりとドグマに浸った自分は、そのことに決して気が付かないのです。縄文人も、弥生人も、彼らなりの世界観でこの世を理解していました。古事記に書かれた神話を、荒唐無稽と笑うわけにはいきません。あれは古代人が一生懸命考えた、彼らなりの思想なのです。現代人の色眼鏡を通して、彼らの思想を批判してはいけないのです。

長い間、人類にとって最も切実な問題は、経済的な問題でした。産業革命と科学技術の進歩は、この天地創造以来の難問を解決しました。これは人類の歴史上、画期的な出来事でした。人間は自信をもち、物質世界では、神と肩を並べたと自負するまでになりました。科学万能の世の中が到来しました。

神を含む、あらゆる宇宙の現象は科学的に説明できるとさえ考えるようになりました。科学は傲慢になり、科学的でないことは信ずるに足らない、軽蔑の対象となりました。西ヨーロッパ人は、科学的でない他の地域を軽蔑し、科学の目を通して古代の歴史を軽蔑しました。そして人間が住む自分の社会そのものも、科学的に組み立てようと試みました。

科学的な真理があるように、社会にも絶対真理が存在するはずだと考えました。人間も分子のように、因果律によって動く、コントロール可能な存在だと考えました。そして「経済学」が誕生しました。人間も宇宙も、機械時計のように一度ゼンマイを巻けば、後は自動的に動き続ける無機質な世界だと考えました。

「リトル・ピープルは目に見えない存在だ。それが善きものか悪しきものか、実体があるのかないのか、それすら我々にはわからない。しかしそいつは着実に我々の足元を掘り崩していくようだ」

神様がいるかいないかとか、魂は存在するかしないか、などという暢気なことを言うようになったのも、人類の歴史でたかだかこの300年位のものです。昔から、人間にとっても、あらゆる生き物にとっても、神様がいるなどということは、口にするのもバカバカしいくらい当たり前の話だったのです。それが科学万能の世の中になり、人間が自分を機械の部品のように考えるようになってから、神様がいなくなったのです。同時に、生き物としてのあらゆる感性も失いつつあります。

「僕は、なんと言えばいいんだろう、心の問題についてはとても臆病なんだ。それが致命的な問題点だ」

人間は自分だけ、外界から孤立して存在しているわけではありません。われわれは宇宙と一体となった存在です。例えば、人間は空気を呼吸して生きています。一瞬たりとも呼吸を止めるわけにはいきません。人間は、頭の中では偉そうなことを考えても、呼吸などという極めて原始的な動作をしているのです。空気とは、地球上をまんべんなく覆っている物質です。その地球そのもののともいうべき大気を、直接体内に取り込んでいるのです。そうしなければ一瞬たりとも生きていけないということは、人間も地球の一部だということです。

デカルトの末裔たる科学者が、どのように説明するかは分かりませんが、常識で考えればそうなります。人間も、動物も鳥も、植物も水も、空気も石も、あらゆる地球上の生き物は、同一の素から派生しているのです。万物は生成流転すると、インドの聖者は教えています。300年前に人間が科学の奴隷になる前には、常識はそのように考えたのです。人間が一番偉いなどと、大それたことを考える者はいませんでした。

「なぜならばこの自然界において、人が自分自身以上のものになることは、自分自身以下のものになるのと同じくらい罪深いことであるからだ」

人間は自然と一体であるということは、当然自然と会話ができたのです。人間も、動物も鳥も、植物も水も、空気も石も、あらゆる地球上の生き物は同一の情報システムを共有しているのです。そうでなければ、春夏秋冬と調和がとれた自然の営みを説明できません。ただ、人間だけはそのアクセスの方法を忘れてしまったのです。

蟻や蜂はグループ全体で整然と行動します。渡り鳥やサケやクジラは、季節ごとに長い距離を正確に移動します。われわれは、このような能力のことを本能と呼びます。そして人間には本能がなくなったといいます。なぜでしょうか。そもそも本能とは何でしょうか。私は宇宙の情報システムにアクセスする能力のことだと思います。これを「祈り」と呼んでもかまいません。

「天吾はそうなることを心から祈った。正確な祈りの言葉こそ持たなかったけれど、彼の心はかたちのない祈りを宙に紡ぎ出していた」

個体を離れて、集団としての情報システムにアクセスすることにより、蟻や蜂はグループ全体で整然と行動することができます。地球そのものの情報システムにアクセスすることにより、渡り鳥やサケやクジラは、長い距離を正確に移動することができます。宇宙の情報システムは一つなのです。あらゆる宇宙の存在物は、一つの「意思」から派生しています。科学万能の人間だけが、個体の脳の中にすべての情報が組み込まれているはずだと考えて、「本能」を失ってしまったのです。

「天吾がやらなくてはならないのはおそらく、現在という十字路に立って過去を誠実に見つめ、過去を書き換えるように未来を書き込んでいくことだ。それよりほかに道はない」

2009/09/05

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